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「初代プレーリー」に「ヨタハチ」! 伝説の名エンジニアが手がけた「ちょっと意外なクルマ」6選

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TEXT: 近藤暁史(KONDO Akifumi)  PHOTO: Auto Messe Web編集部、日産、トヨタ、マツダ、スバル

長谷川龍雄:トヨタスポーツ800

 故・長谷川龍雄氏(2008年逝去)は初代カローラを担当し、80点主義という言葉までも生み出したが、トヨタスポーツ800、ヨタハチも担当している。ヨタハチは実用車のパプリカ(こちらも担当)をベースとしていることから790ccの45psと非力。しかし最高速度は155km/hと当時は驚異的なスペックを誇った。オープンにも関わらずモノコックを採用した結果の580kgという超軽量なボディや、Cd値0.35を誇る空力などのおかげだった。これは長谷川氏が戦時中、戦闘機の開発に従事していたから。とくに羽根の断面についてはTH翼型を採用していてこれは長谷川氏の研究によるもので、空力の権威だったことがうかがえる。THとは自身のイニシャルで、TH翼型は1970年代にNASAが同様のものをやっと開発したということからもわかるように時代の先をいくものだった。ちなみにNASAは特許を取ろうとしたが、長谷川氏がすでに考え出しているということで退けられている。

 

百瀬晋六:富士重工業ふじ号

 自動車メーカーとしてのスバルの礎を築いたのが故・百瀬晋六氏(1997年逝去。下の写真一番左)。スバル360の開発を担当したのは有名だ。戦時中はスバルの前身の中島飛行機で戦闘機の開発を担当していたが、終戦直後は開発が禁止されていたため、作っていたのがバスだった。それまでの経験を大いに活かしたもので、フレームレスモノコックのリヤエンジンを採用。とくにボディは航空機の技術を活用しており、ボンネットバスが当たり前の時代に画期的だったし、現在のバスのスタイルを作り上げた点でも注目だ。最近までスバルがバスの架装を行っていたのはここにルーツがある。

 

多田哲哉:トヨタ2代目ウィッシュ

 最後は最近の開発者を見てみることにしよう。86やスープラなどを担当して、トヨタにおけるミスタースポーツカーと言えば、多田哲哉氏だ。トークショーにもよく登場したので、見たことがある人も多いのではないだろうか。WRC参戦車の開発にも携わっていたのだが、1998年からはコンパクト系の実用車を担当していた。初代bBや2代目ラウム、初代パッソなどで、2代目ウイッシュも担当した。自身によると「クルマ作りのなんたるかが学べてよかった」と語っている。

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