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「ラリー世界制覇」への大いなる助走!「240Z」「ダルマセリカ」がヨーロッパで「武者修行」して得たモノとは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了,NISSAN,TOYOTA

やがて大挙して押し寄せる日本のGr.A勢

 翌1975年にはチーム・トヨタ・アンダーソン・モータースポーツはTTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)へと発展。1974年のRACラリーからは16バルブのスペシャルヘッドを組み込んだ2T-G改エンジンを搭載したカローラ・レビン(TE27)のグループ4仕様がデビューしました。カローラレビンTE27がトヨタのWRC初勝利をもたらす

 翌1975年の1000湖ラリー(現・ラリー・フィンランド)でTTEとして初優勝を飾っています。これはトヨタ・ワークスとしても初のWRC制覇となりました。

 その後、セリカのグループ4仕様へと競技車両をコンバートしながら80年代前半は、とくにサファリ&アイボリーコーストのアフリカ・ラウンドでは、無敵のラリーカーへと成長させるとともにTTEもWRCのトップチームのひとつに成長していきました。セリカのグループ4仕様 80年代前半には、競技車両の車両規定がグループ4/2からグループB/Aへと大きく変更されています。そして、グループBが極限まで先鋭化して最終的には消滅。グループAによるバトルへと新たなスタートを切り、さらにWR(ワールド・ラリー)カーへと車両規定は変遷していきます。そして日産の活動は少し縮小されることになりますが、日本メーカーはトヨタに加えて三菱とSUBARUがWRCにフル参戦してワールドタイトルを獲得してゆくことになります。またグループAで着実にクルマを進化させていたマツダも初優勝を遂げ、最後発となったスズキもF2キットカーを経てスーパー1600でジュニアWRC(JWRC)チャンピオンを獲得することになるのですが、その辺りはまた次回に紹介することにしましょう。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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