今見ても斬新すぎる「いすゞピアッツァ」! 評論家に「もう一度乗りたい」と言わしめる「色褪せない魅力」とは (1/3ページ)

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今見ても斬新すぎる「いすゞピアッツァ」! 評論家に「もう一度乗りたい」と言わしめる「色褪せない魅力」とは

近未来の内外装が今見ても斬新!

 仕事とはいえ古いクルマのカタログを手元で開いて眺めていると心弾む。そのカタログのページを最初に開いた当時の“面持ち”が自然と蘇ってくるからだ。

 いすゞ・ピアッツァ。もっと古いクルマ、昔のクルマもあるなかでクラシックカーと呼ぶにはいささか最近のクルマの部類ではあるが、それでもこのクルマの登場は今から40年前の1981年に遡る。

新時代のスペシャルティカーとして注目を浴びた

 奇しくもあの初代ソアラの登場も同年で、どちらも近未来的なデジタルメーターを採用(“日本初”は登場が3カ月早いソアラだった)。クラスやコンセプトは違ってはいたが、新時代のスペシャルティカーといった括りでどちらも自動車雑誌などでも取り上げられ、注目を集めた。

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いすゞ・ピアッツァのカタログ画像はこちら ところでこのピアッツァは、いすゞから突然変異的に登場したクルマではなかった。ピアッツァ登場時の広報資料をあたると、「117クーペ同様に、デザインはイタリアのカー・デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ」とサラリと記されている。1968年に登場し結果的に13年のライフを全うした117クーペを前身にもち、しかも同じG・ジウジアーロのスタイリングを纏ったという、何とも贅沢で恵まれた星の下に生まれたのがピアッツァだったのである。

ジウジアーロのスタイリングを纏ったピアッツァ

 広報資料でもチラッと触れられているが、まず1979年のジュネーブショーにプロトタイプの“アッソ・ディ・フィオーリ(クラブのエース)”として登場。その後“いすゞX”として東京モーターショーに展示(展示車には“asso”のエンブレムがそのまま装着されていた)、1981年5月13日(発売は6月6日)、ピアッツァとして正式デビューを飾った。1979年の東京モーターショーの様子画像はこちら

 車名の“PIAZZA(広場)”には“1980年代の新しい車社会を先導する広場となるように”との意味が込められ、車名ロゴとその横の石畳を模したマークは、いずれもいすゞ社内のデザイナー(マークは女性)の手によるものだったという。なおボディサイズは、アッソの全長×全幅×全高、ホイールベースが4195×1620×1278mm、2405mmだったのに対し、ピアッツァは4310×1655×1300mm、2440mmと、ひとまわり大きかった。いすゞ・ピアッツァのカタログ画像はこちら さてピアッツァといえば、やはり1番の味わいどころはG・ジウジアーロが生み出した、当時としては時代の先を行く斬新なプロトタイプの内・外観デザインが、ほぼそのまま量産化された点だった。どうやら4ドア版も検討されモデルも存在した……らしかったが、もしも実現されていたら、同年代のG・ジウジアーロのショーモデルだったランチア・メデューサ(リヤエンジン)、オルカ(FF)のようなスタイリッシュな4ドアが生まれていたかどうか。

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