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メーカー純正の「魔改造」ミッドシップ! 大人気ないほど速かった「ルノー5ターボ」とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了/Renault Group

WRCでルノーが仕掛けたミッドシップ+ターボエンジン

 世界ラリー選手権(WRC)では駆動力の伝達でよりパフォーマンスを高めていく4輪駆動(4WD)や、小排気量でもよりハイパワーを絞り出すターボエンジンとミッドエンジンが必須のメカニズムとなっています。WRCの最高カテゴリーであるグループ4/グループBに、最初に4WD を持ち込んだのはアウディ・クアトロでしたが、全クラスを通じて初めて4WDを持ち込んだのは我がSUBARU(当時は前身の富士重工業)でした。

 そして現在も4WDのパイオニアとして頑張っているのは日本人としても誇りに思っています。その一方で、ミッドエンジンを持ち込んだのはランチア・ストラトスでした。ストラトス自体は地球の常識を超えたようなスタイリングでしたが、その後継とも言うべきランチア・ラリー037は、理解しやすいルックスで、史上もっとも美しいラリーカー、との評価を得ています。

 その一方で、2ボックスのハッチバックを、ボディのシルエットはほぼそのまま、ミッドエンジンにコンバートしたクルマも登場してきました。その先駆けはルノー5ターボだったのです。

前輪駆動2ボックスハッチバックをミッドエンジンの2シーターに 

 1984年の第5戦、ツール・ド・コルスでデビューし、翌1985年から2年連続でダブルタイトルを獲得することになったプジョー・205ターボ16や、1985年最終戦のRACでデビューしたMG・メトロ6R4なども、それ以前からコンパクトカーの“定理”となっていた前輪駆動の2ボックスをベースに、エンジンをミッドシップに移動させた2シーターカーでしたが、先駆けとなったのは1980年に発売されたルノー5(サンク)ターボでした。WRCで活躍することになる5サーボの前に、先ずはベースとなったルノー5から解説していきましょう。

 ルノー5は1972年に登場したルノー製のコンパクトカーでした。基本的には先代モデルとなるルノー4(キャトル)と同様のパッケージで、直列4気筒エンジンを縦置きにフロントに搭載して前輪を駆動するというものでした。しかもクルマのフロントからトランスミッション→デファレンシャル→エンジンの順にマウントされていました。ですが、これはさらに先代となるルノー4CVのリヤに搭載されたパワーユニットをそのままフロントエンジンにコンバートしたというのが最大の理由でした。ルノー5 言ってみればフロント・ミッドシップで重量配分的には素晴らしいものがありましたが、エンジンがキャビン内に大きく張り出すなど、コンパクトで日常的なクルマとしては問題もありました。それはともかく、リヤエンジンの4CVに比べると4(キャトル)は積載性で大きく優位に立っていたことで販売を伸ばしていましたが、そのキャトルをよりモダンなエクステリアデザインで包み込んだ5(サンク)がベストセラーともなったのもむべなるかな、といったところでしょうか。

 搭載するエンジンは当初、4(キャトル)にも使用されていた800ccと1000ccがラインアップされていましたが、のちに1100ccや1200cc、1300ccなども追加され1300ccユニットをさらにチューンしたハイパフォーマンスモデルの5アルピーヌが登場することになります。ルノー5アルピーヌ 1976年のジュネーブショーでデビューしたルノー5アルピーヌは、そのネーミングからも明らかなように名チューナーのアルピーヌが手掛けたモデルで1977年のシリーズ第9戦、サンレモ・ラリーでジャン・ラニョッティとギ・フレクランによってWRCデビュー。ラニョッティが総合7位入賞を果たしています。

 さらに翌1978年のWRC開幕戦、モンテカルロではジャン-ピエール・ニコラのポルシェ・カレラに次ぐ2-3位にラニョッティとフレクランがつけています。僅か1.4Lの前輪駆動で小さな2ボックスのルノー5アルピーヌがポルシェ・カレラと約30秒差の2-3位に続けば、もうそれだけで称賛されるべき結果です。ルノー5アルピーヌのグループ2ラリー仕様 ですが、エースのラニョッティはどうも前輪駆動がお気に召さなかったようで、ワークスチームのルノー・スポールとしても後輪駆動の次期主戦マシンを用意する必要が出てきました。ただ、当時のルノーのラインアップはことごとく前輪駆動にコンバートされていて、ベースとなるモデルが皆無という状況でした。

 そこでルノー・スポールで下した結論が、5をベースにエンジンをミッドシップにコンバートして後輪駆動とすることでした。もう少し時代が進んでいればミッドシップの4輪駆動というレイアウトも考えられましたが、コンベンショナルな(?)後輪駆動で開発がすすめられたのです。ルノー5ターボ ベースの5が採用していたパワーユニットを前後逆にしてボディ後半に移動させたことで、前方から順にエンジン→デファレンシャル→トランスミッションと、まるでレーシングカーのようなパッケージとなり、エンジンを取り去ったフロントはもちろん、リヤもサスペンションの取り付けスペースが十分に確保されることになりました。ベースではフロントのみダブルウィッシュボーン式で、リヤはトレーリングアームだったサスペンションレイアウトも、前後ともダブルウィッシュボーン式のサスペンションを装着することが可能になりました。

 こうして1980年に、コンパクトな2ボックス・ボディながら本格的なミッドエンジン車が登場することになったのです。ルノー5ターボ ひとつ見逃せないのはルノーが当時、ターボチャージャーの技術を磨いていたということです。1978年にはル・マン24時間レースを制覇し、その余勢をかってF1GPにもターボエンジンを持ち込んでいます。そんなルノーだけに5のミッドシップバージョンにターボエンジンを搭載することは当然の帰結だったのでしょう。

 5アルピーヌで使用していた1.4Lエンジンにターボチャージャーを組み込んだ5ターボのパワーユニットは、OHVながら160psを捻り出して、ベースモデルの93psからは7割以上ものハイパワーを誇っていました。もうひとつ5ターボの大きな特徴となっていたのはオーバーフェンダー。トレッドをフロントで51mm、リヤは205mmも拡幅し、タイヤも155/70HR13からフロントが190/55HR340、リヤは220/55VR365と極太サイズに交換され、これをカバーするために大袈裟過ぎるほどのオーバーフェンダーが装着されることになりました。

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