ホットハッチの豪傑マシンはモンテカルロ、ツール・ド・コルス優勝の偉業
こうして開発されたルノー5ターボは当然のようにWRCに挑戦を始めました。
完成した1980年の10月、地元開催となったツール・ド・コルスがデビュー戦となりました。ラニョッティがドライブするワークスカーは、ライバルたちが驚くほどの速さを見せつけましたがエンジン補器類のトラブルでリタイアを喫してしまいました。しかし3カ月後に行われた1981年シーズンの開幕戦、モンテカルロでは見事優勝を飾ることになりました。そしてこれは同時に、ターボエンジン搭載車によるWRC初優勝として歴史に残る快挙となりました。 またこのシーズンはモンテのルノーを筆頭にアウディ、フィアット、ダットサン、ランチア、フォード、タルボットと、全12戦で都合7メイクスが勝ち名乗りを挙げる混戦ぶりでしたが、翌1982年シーズンはアウディが12戦中5勝を挙げ真価を発揮し始めていました。5ターボは第5戦のツール・ド・コルスでラニョッティが優勝を遂げていましたが、ターボパワーがモノ言う時代から4輪駆動圧倒的優位の時代へとシフトしはじめていたのです。 5ターボの市販モデルについては普及版とも言うべき5ターボ2が登場していましたが、WRCにおいても車両規則が変更され、主役がグループ4からグループBに移行したのに合わせてエボリューションモデルとも言うべき5マキシターボが登場しています。 最大の進化はエンジンで排気量を1527ccに拡大(ターボ係数を掛けて2138cc)したC7Kエンジンは350psを絞り出していました。外観からは3対計6灯に強化された補助灯のうち、中央寄りの1対2灯がボンネットと一体化されたフロントビューが5ターボとの大きな違いとなっています。またルーフエンドに装着された大型スポイラーも特徴となっていました。このエボリューションモデルを駆ったエースのラニョッティは85年のツール・ド・コルスで5ターボに3勝目をもたらしています。
時代に逆らうかのようにミッドエンジンの後輪駆動で頑張っていた5ターボは、2ドアハッチバックのコンパクトなボディに、大袈裟過ぎるほどのブリスターフェンダーとエアロパーツを取り付けた、まるで「チョロQ」のようにも映りますが、愛らしいデザインは評判となり今でも根強い人気を誇る1台となっています。