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「技術の日産」を体現した名車「ブルーバード」! 消滅せざるを得なかった「苦しい事情」とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了/ニッサン

シャシーをめまぐるしく変更しながら5ナンバーフルサイズに

 直4エンジンを搭載したモデルのみとなったブルーバードは、1991年の9月に8度目のフルモデルチェンジを受け、9代目のU13系に移行します。先代のU12系と同様に4ドアセダンと4ドアハードトップの2車型でしたが、ハードトップがピラーレスからピラードハードトップに変更され、プレスドアのセダンに対してサッシレスのハードトップはイメージ的にも大きな違いを演出していました。3ナンバーU13ブルーバード シャーシではリヤサスペンションが一般的なストラット式からロアアームをパラレルリンクとしたものに変更されていました。またデビューから2年後には、主力エンジンのSR系と同じ直4ながら、輸出モデルに採用されていた2.4LのKA24DEを搭載したモデルが追加投入され、ブルーバードとして初となる3ナンバー・モデルが誕生したのも見逃せません。

 さら1996年には9度目のモデルチェンジを受けて10代目となるU14系に移行しています。最大のニュースはプリメーラ(2代目のP11型系)とフロアパンを供したことで、結果的に前後サスペンションもマルチリンク式とマルチリンクビーム式(2輪駆動。4輪駆動はストラット式)に変更されていました。同時に全長とホイールベースも、それぞれ20mmずつ短縮され、若干ながらダウンサイジングを果たしていますが、全長は4565mm、全幅は1695mmと、引き続き5ナンバー・フルサイズであったことには変わりありませんでした。10代目ブルーバードU14系 4ドアセダンの1車型となりましたが、エンジンはそれまでのSR系に加え可変バルブタイミング・リフト機構を組み込んだ、最高出力190psのSR20VEを搭載した2.0 SSS-Zや、リーンバーン式のQG18DEなどが投入されていきました。ただしこうした技術的なトライも、今から振り返ってみると、迷走だったと言うべきかもしれません。2000年の8月には車格がひとつ下のサニー(9代目にして最終モデルとなったB15型系)とフロアパンを共有するブルーバード・シルフィ(G10型系)が登場。U14型系は生産終了となってしまったのですから。

サニー改めシルフィも本流とはならず! そしてブルーバードが消滅

 10代目のU14型系が2001年に生産終了となった後は、2000年に登場していたブルーバードシルフィがブルーバードの名跡を継ぐことになりました。フロアパンはサニーと共通でしたが、ブルーバードを名乗ることから1.3L~1.8Lのエンジンを搭載していたサニーに対して1.5L~2Lへとエンジンを1クラス上方にシフト。上級グレードには2L直噴式のQR20DD型が用意されていました。G10型系シルフィー ダウンサイジングと新型エンジンによって環境性能が引き上げられていたのは大きな特長でした。ですが、Dセグメントをプリメーラに譲ってCセグメントにコンバートしたはずが、「従来のブルーバードファンにはコンパクト過ぎるのでは?」との想い(不安?)もあったのでしょうか、フルモデルチェンジで2代目(ブルーバードとして数えれば12代目となるG11型系)では再びサイズアップ。ブルーバードの最終モデルとなったU14型系よりも全長/ホイールベースともに長くなってしまいました。G11型系シルフィー 何よりも顕著だったのは、G10型系の時代にはエンブレム(カーバッジ)で、ブルーバードのロゴを大きくしてみたり、反対にシルフィの方を大きくしてみたりを繰り返して、まさに迷走が始まっていた感があります。

 モデルチェンジのたびにボディを肥大化させ、エンジンの排気量を拡大していく。やがて空白となったポジションに、新たな(車名の)モデルを投入する。世界中のメーカーが、いまだにこの悪弊を断ち切れないでいるのですが、セドリックとともに日産の屋台骨を支えてきた3本柱のふたつ、サニーとブルーバードが混乱の末に消滅していった(消滅させざるを得なかった)ことは、日産の苦悩の深さを表しているようにも思われます。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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