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闘うために生まれた「もう一台」のポルシェ! 「934」とは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/PORSCHE

世界選手権はワークスチームが参戦! プライベートも活躍

 ターボチャージャーの基本技術とレースを戦う上でのノウハウを、Can-Amシリーズで蓄積したポルシェ。再びヨーロッパのレースに参戦すべく車両を開発していきました。ターゲットとしたのは1976年から始まるグループ5車両による世界メーカー選手権でした。

 そのためにグループ5車両と、そのホモロゲーション(車両公認)を得るためのグループ4のホモロゲーションモデルを開発したのです。グループ5は最小生産台数の縛りはなく、グループ1から2、3、4の公認車輌をベースに大幅な改造も認められていますが、ベースとなる公認車輌は各グループによって最小生産台数が決まっています。ポルシェ935

 グループ1から3までは1000台かそれ以上の台数を生産する必要がありましたが、グループ4は連続する24カ月の間に400台以上を生産することが必要とされていました。そこでポルシェが取った作戦がグループ4のモデルを400台生産し、それをベースにグループ5のモデルを仕立て上げる、というものでした。

 言うまでもなく前者が934で後者が935、そしてそもそものベースとなったモデルが、ポルシェとして初めてターボチャージャーを装着していた930ターボでした。さらに言うなら大本を辿っていくとスポーツカーのアイコンとまで進化していたポルシェ911に辿り着きます。ポルシェ911

 それはともかく、930ターボをベースに934を開発していくのですが、ここでもポルシェらしく、レースの現場で戦いながら開発が進められていました。ベースに選ばれたのは911カレラRS 2.7を発展させた911カレラRSR 3.0でした。ポルシェ911 3.0RSR

 そのリヤに930ターボ用のエンジンをさらにチューニングを施して搭載。2142ccの水平対向6気筒エンジンはターボを装着することによって500馬力を発揮。1974年のル・マン24時間では3Lのグループ6(純レーシングカー)、2台のマトラ・シムカMS670Bに割って入る格好で総合2位に入賞しています。

 こうして開発手順をしっかり踏んで、ポルシェの新世代レースカー、934と935が誕生しました。ボディサイズは全長×全幅×全高がそれぞれ4291mm×1875mm×1304mm。930ターボに比べると100mm幅広くて16mm低くなっていますが、1976年モデルの935と比べると389mm短く95mm狭く39mm背が高く、やはりエアロパーツの差もあって、意外にコンパクトに仕上がっていることが分かります。ポルシェ934

 エンジンは930ターボと同排気量の2993cc(95.0mmφ×70.4mm)ですが、流石にレース仕様ということもあって485psと、930ターボに比べて225psも引き上げられています。ちなみに、935はターボ係数(この当時は1.4)を掛けて4L以下に収まるよう、2857cc(92.8mmφ×70.4mm)に排気量が引き下げられているにも拘らず590psを絞り出していました。レース用とはいえ市販モデルと世界メーカー選手権を戦うワークスマシンの違いを見せつけています。ポルシェ934

 例えばスポーツカーレースの檜舞台とされるル・マン24時間でも、優勝を争うメーカーのワークスマシンには敵うはずもありませんが、それでもレースを終えてみると10位台や20位台には有力なプライベートチームの934がいるのはもう当たり前。

 またドイツ国内選手権などで活躍した934には、オレンジ色のイエーガーマイスターや、グリーンにピンクのストライプが映えるヴァイラントなど、印象に残るスポンサーカラーもいくつかありました。そういえば確か、ヴァイラント・カラーの934が、タミヤ初の電動ラジコンカーだったような気がするのですが、残念ながら記憶も曖昧模糊としています。ただし編集部によると、これを懐かしいと思ったらオジサン確定とのこと。はっきりしないのはオジサンでない証拠、と都合よく解釈しておくことにしましょう。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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