小排気量でもターボで効率化させた
1979年から1989年のGT-R復活までの10年間は、バブル経済へ向けた景気の進展とともに、日本中が熱気に包まれたような時代だった。しかし70年代には二度の石油ショックもあり、燃費向上への要求も変わらず続いていた。
排出ガス浄化も、燃費向も、そして高出力化も、基本は燃焼をいかによくし、効率を高めるかによって成り立つ技術開発である。当初のターボエンジンが、燃費は悪いが大馬力を出せるとしたのは、ターボチャージャーの効果を体感させる手段であり、今日のターボエンジンがダウンサイジングターボのように燃費技術に使われるように、本来は高効率化のための装備である。
第2期F1でホンダは、自然吸気エンジンの半分の排気量のターボエンジンでチャンピオンを獲得した。燃費と出力が調和する何よりの証だ。
日本の自動車メーカーのエンジン技術は、時代に適応するため磨かれ、それが最高の運転感覚をもたらす高性能車誕生の後ろ盾にもなった。一方で、1980年代には第二次交通戦争と呼ばれるように交通事故死者数が年間1万人を超え、最高出力を自主規制せざるをえなかったのである。