クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • ロータスを復活させた「エリーゼ」のシャシーは68キロ! 軽さこそ正義の「Mk1」はスパルタン過ぎました
CLASSIC
share:

ロータスを復活させた「エリーゼ」のシャシーは68キロ! 軽さこそ正義の「Mk1」はスパルタン過ぎました

投稿日:

TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: LOTUS/原田 了

ロータスのDNAが継承された1台だった

 かつて栄華を誇っていたイギリスの自動車産業は、今や国内メーカー(ブランド)の多くが海外メーカー/資本の傘下に組み込まれるなど、厳しい時代を迎えています。そんななか、クルマ趣味の王道として根強い人気を保っているのがロータスです。レーシングカーでその歴史が始まり、かつてはF1GPでトップに立ったことのあるロータスらしく、軽量こそ正義を貫くロータスの中でもスパルタンなエリーゼMk1を振り返ります。

バックヤード・ビルダーから始まった歴史

 ロータスは、故コリン・チャップマンがロンドン大学の学生だった当時、アルバイトとして売買していた中古車の1台を自らのレース用に仕立てたことが起源です。当時付き合っていた彼女で、のちにチャップマン夫人となるヘイゼル・ウィリアムズの実家のガレージで、ワンオフに近い状態のレーシングカーを作り続けた“バックヤードビルダー”でした。

 大学を卒業し兵役についたチャップマンは、退役後にブリティッシュ・アルミニウム社へ就職し開発技術者として勤務。勤務を終えると新型マシンの構想を練る日々が続いていました。1952年にはロータス・エンジニアリング社を設立したものの、ブリティッシュ・アルミニウム社での勤務を終えるとロータス・エンジニアリングの仕事に精を出すという日々が続いていました。

 1954年にはヘイゼルと結婚し、ブリティッシュ・アルミニウム社を退職。ロータス・エンジニアリング社に専念することになります。

ロータスの発展を支えたエリート

 話は少し前後しますがロータス・エンジニアリング社を設立した翌1953年に、ロータスとして初の量産モデル、マーク6が登場。さらに1957年のロンドン・ショーにおいてはオープンホイールのスポーツカーである“セブン”とともに、ロータスとしては初となるクローズドボディのGTスポーツ、タイプナンバー14を与えられたエリートが登場しています。

 エリートには、ロータスとしてはもちろん、世界初となるポリエステル積層材を使ったガラス繊維強化プラスチック(FRP)製モノコックを採用。エンジンやフロントサスペンションのマウント部分には鋼板のサブフレームが取り付けられ、またドア・ヒンジやフロントのウインドスクリーン部分には鋼管(角パイプや丸パイプ)で補強が施されていました。

 リヤサスペンションに関してはコイルスプリング/ダンパーユニットの頂部とラジアスロッドの前端は、FRPモノコックに直接取り付けられるという革新的な構成でした。エリートは大ヒット商品となり、ロータスの発展を支えることになったのです。

 その後もエランやヨーロッパ、エラン+2、エスプリなど数々のスポーツカーをリリースしていき、バックヤードビルダーは、いつのまにか自動車メーカーとしても確立することになります。またフォード・コーティナ・ロータスのような大メーカーのクルマ開発をアシストする仕事でも、高い評価を受けるようになっていきました。

 しかし1982年に創業者であるチャップマンが急逝すると、状況が変わってきます。経営難が深刻化し、1986年にはゼネラルモータース(GM)の傘下に入り、グループ内のスポーツカーメーカーとしてスポーツモデルの開発などを担当することになったのです。

 さらにその後、GMの経営状況が悪化しブガッティに売却されるもブガッティ自体が破産、1996年にはマレーシアの国営メーカーであるプロトンに売却されることになりました。そんなローリングストーンとなったロータスをよみがえらせることになったのが、今回の主人公エリーゼでした。

12

 

 

 

 

 

 

ranking

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

ranking

AMW SPECIAL CONTENTS