紙のカタログの終焉がクルマへの「想い」をどのように変えるか
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のお題は、ショールームの片隅に積まれていたはずの紙のカタログが静かに姿を消しはじめ、WEBカタログに移行していることです。ページをめくりながらクルマへの夢をふくらませた体験は、過去のものになりつつあるのかもしれません。スマートフォンでQRコードを読み取れば、スペックも価格も瞬時に確認できることは便利ですが、効率化と環境配慮の波に飲み込まれたカタログの終焉について考えてみました。
情報を得るだけならWEBカタログでも十分だが……
先日、トヨタ自動車の販売店に伺ったところ、ショールームにあるはずのカタログの姿が見当たりませんでした。煌びやかな展示車と同じように、必ず店舗のどこかに積まれていたはずのカタログが、姿を消しかけているのです。紙のカタログを手に取り、ページをめくりながらクルマの世界観を想像する──そんな当たり前の体験が、今や過去のものになりつつあります。
カタログの代わりに、販売店のテーブルや壁面には小さな「QRコード」が置かれていました。スマートフォンをかざせば、公式サイトやデジタルカタログにアクセスでき、スペックや価格、グレード展開を確認することができます。確かに情報収集の効率という点では合理的であり、印刷や在庫管理のコスト削減、環境負荷の軽減にもつながります。販売店にとっても、時代に即した選択といえるでしょう。
しかしながら、筆者はそこに一抹の寂しさを覚えました。クルマは単なる移動手段ではなく、夢や憧れを乗せる存在です。その夢を膨らませてくれたのが、紙のカタログであったと思うからです。
筆者の幼少期は、街道沿いの販売店を巡り、カタログを分けてもらうのが楽しみでした。免許どころか購買力もない子供が自転車で訪れても、販売員の方々は嫌な顔ひとつせず快く手渡してくれたのです。あの厚みのある冊子を抱えて帰り、ページを1枚1枚めくるたびに、煌びやかなクルマの世界が広がりました。シートの質感やエンジンの迫力、街を駆け抜ける姿を想像しながら、心の中で「いつか自分も」と夢を描いていたものです。
こうした経験をされた方は、決して少なくないのではないでしょうか。カタログは情報源である以上に、夢のアルバムであり、時に美術書にも匹敵する存在でした。
ページを捲るたびに夢を描かせてくれる髪のカタログは大切
もちろん、時代は変わり、利便性でいえばデジタルに軍配が上がります。インターネットで検索すれば、カタログ以上に豊富な情報が手に入ります。動画や3Dビューでクルマを確認することもできますし、比較機能を使えば競合車との違いも一目瞭然です。
一方で、デジタルは「必要な情報を効率的に得る」には適しているものの、「想像を広げる余白」を与えてはくれません。ページをめくるという行為そのものが、クルマの世界へ没入する儀式だったのではないでしょうか。
カタログの消滅は、単なる印刷物の終焉ではなく、クルマという文化のあり方を映す出来事だと感じます。クルマを“モノ”として捉えるか、“夢”として捉えるか。その境目が、紙からデジタルへの移行に見えてくるのです。
時代は効率を求め、デジタル化は止めようのない流れです。しかし、かつてのカタログのように、ユーザーの心に夢を描かせるツールが、新しい形で再び現れることを願ってやみません。たとえばデジタルでも、触れるようにめくれる感覚や、心をくすぐるデザインがあれば、それは新しい“夢の本”になり得るはずです。

カタログは、単なる商品説明書ではありませんでした。人々の心に未来のカーライフを描かせる、夢の原動力だったのです。その役割が完全に失われてしまうとしたら、自動車文化の一部が静かに色あせていくようでなりません。QRコードで得られる情報も便利ですが、あの紙の質感やインクの匂いとともに広がる「想像の余白」は、何ものにも代えがたいものです。










































