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暴走族対策で選ばれた4ドアのオヤジ車!スポーツカーを日本初ターボ車にできなかった理由とは【Key’s note】

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TEXT: 木下隆之(KINOSHITA Takayuki)  PHOTO: BMW AG/日産自動車/AMW

  • 1973年秋のフランクフルト・ショーにて鮮烈なデビューを飾ったBMW 2002ターボ
  • 前後フェンダーにはリベット留めのFRP製オーバーフェンダーを追加した
  • 日産 グロリアターボ。2L直6ターボは2.8L直6と同じ145psを発揮
  • 日産 スカイライン2000GT-ESに搭載された L20ET型エンジン
  • 日産 セドリック ターボ。豪華な4ドアハードトップにパンチの利いたターボパワーを搭載
  • 排気ガスを使ってタービンを回し、コンプレッサーで空気をより多くエンジンへと送り込むタービン
  • 日産 スカイライン2000GT-ES。1970年代後半にSOHCしか持たない日産に対して、トヨタが「名ばかりのGT達は道を開ける。ツインカムを語らずに真のGTは語れない」のキャッチコピーを放ったのは有名。日産はそれをターボで逆襲した
  • 日産 セドリックターボ

日本車史に残る日産が仕掛けたターボ導入の奇策

レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のお題は「日本のターボ技術」。1970年代末、日本に「ターボ」という技術が上陸しました。当初は暴走族のパワーアップ装置と誤解され、日産スカイラインへの搭載は見送られます。しかし日産はターボ搭載車に官公庁車やタクシーでおなじみのセドリック/グロリアを採用したことで、規制を巧みに突破しました。この一歩が日本車のターボ時代を切り開いたのです。

厳しい排ガス規制で落ちたパワーをターボで補う

1970年代末、日本の自動車業界にひとつの“風雲急”が迫っていました。オイルショックによる燃費規制、排ガス規制、そして自動車文化に対する社会の視線の変化です。そのなかで「ターボ」という技術が日本に上陸しようとしていました。

当時若かった僕らにとって、ターボチャージャーという言葉には憧れの響きがありました。自動車先進国のドイツではBMW「2002ターボ」やポルシェ「911ターボ」が販売されており、高性能エンジンの証だったのです。パワーアップのための魔法のパーツに痺れました。そんなターボ車が日本車に採用される──そう思うと浮き足立ったものです。

本来、ターボチャージャーは排気ガスのエネルギーを再利用し、エンジンの燃焼効率と出力を高める合理的な仕組みです。当時の厳しい排ガス規制はエンジンパワーにとって大きな足かせとなっていて、日本の自動車メーカーはそれをターボで補おうと考えました。

しかし役所はこう考えたようです。

「ターボ=暴走族のパワーアップ装置」

燃費改善技術どころか、”治安悪化”装置扱いです。暴走族と技術文化への誤解は、いつだってこうして始まるものです。

じつは日産は、走りのクルマとして人気があったスカイラインにターボを組み込むことを検討していました。しかし、暴走族が喜ぶターボをスカイラインに搭載することには、役所が難色を示したとされています。
「いや、それはアカン。スカイラインは走り屋のクルマやろ? ターボなんて付けたら若者が夜の高速で競争して事故が増える!」

当時の役所の発想は、まさにこうしたものでした。こうして最有力候補だったスカイラインGTターボ計画は、行政的なブレーキが踏まれることになったのです。

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