検問も柵もお巡りさんの姿すらない…?
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のキーワードは「国境問題」です。ヨーロッパの国境で検問が行われているという報道を思い出し、突入してみると……。
ドキドキしながら通過
ドイツからルクセンブルクに入るその朝、僕はちょっとした冒険心を胸に抱えていました。2023年の報道によると、ドイツの政党が国境の強化をすると発表していたからです。このご時世、ヨーロッパで国境検問? と思いつつも、なんとなく“国と国のあいだ感”を味わえるのでは? と期待しながらも、念のためにパスポートを手の届くところに用意。スピードは少し控えめに、表情もやや旅慣れた感じに整えてルクセンブルクとの国境を目指したのです。
……実際には──何も、なかった。
そう、拍子抜けというのはこういうときに使う言葉なのでしょう。木々の間を抜け、橋を渡り、看板が「Willkommen」から「Bienvenue」に変わるだけ。検問も柵も、お巡りさんの姿すらない。
「え? もうルクセンブルク?」
よくよく振り返れば、ここからルクセンブルクですよと看板が立っていました。それも控え目です。うっかり素通りしてしまったほどです。静かすぎて、どこか夢を見ているようでした。
思えば、これがヨーロッパの国境の“通常営業”なのでしょう。1995年のシェンゲン協定以降、多くの国境がこうして「目に見えない」ものになった。かつてパスポートを掲げた場所には、いまや風と時間しか通っていないのです。
ドイツが一時的な国境管理を検討しているという話も耳にしますが、それは大きな政治の話であって、少なくとも僕の走ったその道には、かつての「線」の名残すらほとんどなかったのです。
気がつくとまわりの雰囲気が変わっている
とはいえ、国境が「ないようである」という感覚は、なんとも不思議ですね。言葉が変わり、クルマのナンバーが変わり、ガソリンの値段が変わる。スーパーマーケットに並ぶチーズもワインも、ちょっとした異国情緒がある。
ルクセンブルクに入ると、フランス語が飛び交うようになります。ドイツではほとんど触れることのない言語があふれていることで国境を越えたことがわかります。島国である日本の感覚からすると不思議ですね。人の心というのは案外繊細で、そうした小さな変化にこそ「違い」を見出すものですね。
ルクセンブルクの風景は穏やかでした。丘がなだらかに波打ち、街の輪郭がどこか柔らかい。税率の低さで知られるこの国は、なにかと“寛容”のイメージを背負わされがちですが、しっかり守るところは守る。そんな印象を受けました。
そういえば、国境という言葉そのものがすでに時代遅れになりつつあるのかもしれない。かつてのように、検問所の列に並び、パスポートに判子を押されていた時代を知る者にとって、いまの国境はあまりに淡白で、記憶にすら残りづらい。
ふとした瞬間
「あれ、ここってドイツだったっけ、ルクセンブルクだったっけ」
と迷うような国境が、たぶん未来のかたちなのでしょう。
次にまたこの道を越えるとき、今度はどんな風景が待っているのでしょうね。トランプはことさら移民を嫌っていますし、ロシア戦争が火種となりウクライナからの移民も少なくないと聞きます。ですが、国境で人類を区別するのではなく、「目に見えない国境」が平等の象徴になってほしいですね。












































