フォーミュラEの静けさと夜間開催が既存のモータースポーツを大転換
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之が毎週発信しているのが、人気連載コラムの「Key’s note」だ。今回のテーマは、ABB FIAフォーミュラE世界選手権の東京大会である。都心の公道を舞台に開催されたレースを現地で観戦し、エンジン音がない電気自動車ならではの魅力と、来期に決定しているナイトレースの意義について、モータースポーツの未来という視点から独自の考察を展開する。
爆音がないからこそ際立つモータースポーツの新しいスピード感
ABB FIAフォーミュラE世界選手権 東京E-Prixを観戦してきた。本格的なフォーミュラレースでありながら、舞台は都心の公道である。目から鱗が落ちるとは、まさにこのことだった。モータースポーツの新しい扉が、静かに開いたような気がしたのである。
正直に言えば、最初は「電気自動車のレースか」という程度の興味であった。爆音を轟かせるF1やスーパーGTを見慣れた身には、どこか物足りなさを感じていたのである。ステーキを食べ慣れた人間が、精進料理を前にしたような気分だった。
ところが実際に現場へ足を運ぶと、その印象は180度変わった。爆音を響かせないことが、むしろモータースポーツの可能性を無限大に広げることを実感したのだ。
高層ビルを背景に公道を駆け抜ける未来的なフォルム。モーターが奏でる鋭い金属音。そして爆音がないからこそ際立つスピード感。フォーミュラEは決して「静かなレース」ではない。これまでとは異なる感性で楽しむ、新しいモータースポーツであった。

騒音問題がクリアになることで都心でのレース開催が成立
フォーミュラEが東京でナイトレースを開催する理由は、単なる演出ではない。もちろん、ネオンを背景に未来的なフォーミュラカーが疾走する光景は実に美しい。だが、それ以上に現実的な理由があった。
もし500馬力や600馬力級の内燃機関マシンが深夜まで都心を走り続ければ、騒音問題は避けられない。街全体を揺さぶるほどの咆哮は、サーキットでは勲章でも、住宅街では騒音になってしまう。住民の理解を得ることは容易ではないだろう。
ところがフォーミュラEなら、都市と共存しながらレースを開催できる。まるでクラシックコンサートが街のホールで開かれるように、街並みに溶け込みながら世界最高峰のレースを成立させてしまうのである。
実際に観戦してみると、その恩恵は観客にも伝わってくる。爆音にかき消されることなく実況アナウンスが聞こえ、家族や友人と普通の声で会話ができる。子どもが耳を塞ぐ必要もない。マシンが縁石をまたぐ音、タイヤが路面を擦る音、ドライバーがアクセルを繊細に開閉する気配まで感じ取れる。
エンジン音という巨大なオーケストラが一歩下がったことで、それまで埋もれていた小さな楽器の音色が浮かび上がる。そんな印象だった。観戦しながら友人とレース展開を語り合えるのも新鮮だった。まるでリアルなレーシングゲームを巨大スクリーンではなく、街そのものを舞台に楽しんでいるような感覚である。

過酷な猛暑を避ける夜間開催はドライバーにも観客にも恩恵をもたらす
近年の東京の夏は、もはや「暑い」という言葉では表現しきれないほどの危険な暑さとなっている。真夏の日中、アスファルトの表面温度は60℃を超えることも珍しくない。
コクピットの中はさらに過酷だ。レーシングスーツにヘルメット、防火用アンダーウエアを身にまとったドライバーは、まるでサウナのなかで全力疾走を続けているようなものだ。体内深部温度は上昇し、脱水や熱中症、高体温症の危険とつねに隣り合わせになる。
だからこそ、夜という選択には大きな意味がある。気温が数度下がるだけでも、人にもマシンにも余裕が生まれる。ドライバーは本来のパフォーマンスを発揮しやすくなり、観客も快適にレースを楽しめる。都市の猛暑という現実に対する、実に合理的な答えなのである。
サーキットが街へ歩み寄ることでモータースポーツが日常へ溶け込む
そして、フォーミュラEだからこそ夜が似合う。ビルのガラスにマシンのライトが映り込み、街全体が巨大なステージへと姿を変える。電気で走るフォーミュラカーが未来都市を駆け抜ける光景は、まるでSF映画のワンシーンを現実世界へ切り取ったようだ。
考えてみれば、自動車そのものも大きな転換期を迎えている。これから街を走るクルマは、ますます静かになっていくだろう。その未来を象徴するカテゴリーが、都会の真ん中で夜にレースをすることには、大きな意味がある。

レースの爆音が人々を魅了するのも事実だが、静かなレースだからこそ都市へ入り込み、人々の日常と自然につながることができる。フォーミュラEは、人里離れた山奥のサーキットまでわざわざ観客を呼ぶレースではない。レースのほうから街へ歩み寄り、未来のモータースポーツの姿をそっと見せてくれるカテゴリーなのである。
会社員や学生が、仕事や授業が終わってからレース観戦を楽しむ。モータースポーツが日常の一コマに組み入れられる。そんな夢のような世界が繰り広げられるのである。無限大に広がる可能性に期待したい。





































