カラッチオラは1934年8月5日、クラウゼン・パス・ヒルクライムレースでメルセデス・ベンツW25を駆って優勝
1934年9月9日、モンツァでのイタリアGP。優勝したカラッチオラは、メルセデス・ベンツW25(車番2)のステアリングを握った
1935年6月16日、ニュルブルクリンクで行われた国際アイフェルレースがスタート。写真は車番7のマンフレート・フォン・ブラウヒッチュが先頭。車番5のルドルフ・カラッチオラが優勝。車番6ファジオーリは4位入賞
カラッチオラは、メルセデス・ベンツW25を駆って1935年のヨーロッパ・グランプリチャンピオンに輝いた。写真は1935年6月16日にニュルブルクリンクで開催された国際アイフェルレースで優勝した車番5のカラッチオラ
カラッチオラは、メルセデス・ベンツW25のステアリングを握り、1935年のヨーロッパ・グランプリチャンピオンに輝いた。写真は1935年6月23日にモンレリーで開催されたフランスGPで、車番2のカラッチオラはチームメイトのフォン・ブラウヒッチュ(車番6)を抑えて優勝
カラッチオラは、メルセデス・ベンツW25のステアリングを握り、1935年のヨーロッパ・グランプリチャンピオンに輝いた。写真は1935年6月23日にモンレリーで開催されたフランスGPで、車番2のカラッチオラはチームメイトのフォン・ブラウヒッチュ(車番6)を押さえてフィニッシュラインを通過
カラッチオラは、メルセデス・ベンツW25のステアリングを握り、1935年のヨーロッパ・グランプリチャンピオンに輝いた。写真は1935年7月14日、スパ・フランコルシャンで開催されたベルギーGPで優勝
1935年ヨーロッパ・グランプリ選手権の表彰状は、1935年10月15日に国際自動車クラブ連合機関によって発行され、ルドルフ・カラッチオラに授与された
雨天の名手ルドルフ・カラッチオラは、1936年雨のモナコGPでメルセデス・ベンツW25を駆って優勝した
1937年はレーシングカー製造において、メルセデス・ベンツの新しい時代が始まった。1人の若い天才エンジニア、ルドルフ・ウーレンハウトがメルセデス・ベンツに最後の仕上げをして最強のW125を開発した。写真は1938年8月14日、ペスカーラ近郊のコッパ・アチェルボ。左がノイバウアー監督、中央はカラッチオラ、右がウーレンハウト
750kgフォーミュラが1年延長されて1937年にも適用され、新設計された最強のメルセデス・ベンツ、W125シルバーアロー
メルセデス・ベンツW125レーシングカーの断面図
革命的なデザイン。写真は1937年シーズンのメルセデス・ベンツW125の展示モデル
1937年7月25日に開催されたニュルブルクリンクのドイツGPデッドヒート。写真はサウスカーブのスタート直後、メルセデス・ベンツW125は車番16のランクと、続き優勝者となった車番12のカラッチオラがフィールドをリード。その後ろには、強敵のアウトウニオンのローゼマイヤーとミュラー、そしてメルセデス・ベンツW125・車番14のフォン・ブラウヒッチュ(2位)が続く
1937年9月12日、リヴォルノで開催されたイタリアGPでダブル優勝。優勝した車番2のカラッチオラと車番6のランクは1位、2位を独占
メルセデス・ベンツの広告「1938年は勝利の年」。ルドルフ・カラッチオラが3度目のヨーロッパ・チャンピオンに輝いた
1936年に入るとメルセデス・ベンツはV12気筒4.80L 540psエンジンを搭載したほぼ完璧に近いストリームライン・レーサーを造った(W25ベース)。1936年10月と11月にアウトバーンのフランクフルト~ダルムシュタット間で、ルドルフ・カラッチオラはクラスB(5L~8L)でフライングkm・364.4km/h、同マイル・366.9km/hを含め計6つの世界記録を樹立、最高スピードは371.9km/hを記録した
ライバルのベルント・ローゼマイヤーが乗るアウトウニオンのストリームライン・レーサー(タイプCストリームライン)は、1937年に406.3kmhの記録をマークした
ライバルのアウトウニオンのエースドライバーであるベルント・ローゼマイヤー
メルセデス・ベンツの技術陣は1936年のストリームライン(W25ベース)のV12エンジンを5.67L 736psにまで拡大し、1938年1月には改良されたストリームラインが間に合った(W125ベース)。カラッチオラは、フランクフルト~ダルシュタット間の完全に平坦なアウトバーンでフライングkm・432.69km/h、フラインングマイル・436.36km/hという大記録を樹立した
メルセデス・ベンツの技術陣は1936年のストリームライン(W25ベース)のV12エンジンを5.67L 736psにまで拡大し、1938年1月には改良されたストリームラインが間に合った(W125ベース)。カラッチオラは、フランクフルト~ダルシュタット間の完全に平坦なアウトバーンでフライングkm・432.69km/h、フラインングマイル・436.36km/hという大記録を樹立した
カラッチオラがメルセデス・ベンツW125ストリームラインで世界新記録を達成した1938年の広告。「公道でフライング・キロメーター432.69km/h、フラインング・マイル436.36km/h達成」
2017年まで公道で記録された最高速度の世界記録を樹立したメルセデス・ベンツW125ストリームラインのオリジナル車両は、メルセデス・ベンツ博物館に展示
即刻、アウトウニオンのストリームラインとベルント・ローゼマイヤーが、メルセデス・ベンツの世界記録に挑戦したが、ベルント・ローゼマイヤーは横風にあおられてマシンは大破し帰らぬ人となり、アウトウニオンの再挑戦には至らなかった
写真は大破したアウトウニオンのストリームライン
アウトウニオンストリームライン(タイプC)のレプリカは、アウディ・ミュージアムに展示されている
アルフレッド・ノイバウアー監督(右)とルドルフ・カラッチオラ(左)
1937年7月25日に開催されたニュルブルクリンクでのドイツGPスタートシーン。車番12のメルセデス・ベンツW125を駆るカラッチオラは、チームメイトである車番16のランクや車番14のフォン・ブラウヒッチュ(2位)を抑えて優勝
メルセデス・ベンツの技術陣は1936年のストリームライン(W25ベース)のV12エンジンを5.67L 736psにまで拡大し、1938年1月には改良されたストリームラインが間に合った(W125ベース)。カラッチオラは、フランクフルト~ダルシュタット間の完全に平坦なアウトバーンでフライングkm・432.69km/h、フラインングマイル・436.36km/hという大記録を樹立した
1937年7月25日に開催されたニュルブルクリンクでのドイツGP。写真は車番12のメルセデス・ベンツW125を駆り優勝したカラッチオラ