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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

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スバル初代「インプレッサ」が30周年! セダンから「WRX」まで広く愛される名車は誕生時からユニークでした

今から30年前の「1992年10月」と記載のある初代スバル「インプレッサ」最初のカタログの表紙は、「ハードトップセダン」が紺色、「スポーツワゴン」が鮮やかな赤、さらに「WRX」はモノトーンのクールな印象のものでした。当時のカタログで振り返ります。

スバル「アルシオーネ」はいま見るとジワジワかっこいい! 空力を意識した未来感あふれる直線デザインがアヴァンギャルドだった

1985年にデビューしたスバル・アルシオーネは直線的なデザインが印象的でした。スバル車で唯一、リトラクタブルヘッドライトを採用したモデルです。内装もエクステリア同様に、斬新なデザインを採用していました。あらためて同車の魅力について振り返ってみました。

トヨタ「クラウン」のワゴンを全部見せます! 新型「クラウン エステート」の先祖は呼び名も違いました

トヨタの新型クラウンは「クロスオーバー/スポーツ/セダン/エステート」と4モデルが同時に公表。クラウンは長い歴史のなかでさまざまなバリエーションを揃えていたのも事実です。ハイオーナーカーであったと同時に、かつては実用車の領域もカバーしていたのでした。

トヨタの「レーザー革命」とは? 「カムリ」が海外市場で人気だった理由を真面目に考える

新型「クラウン」が話題になっていますが、トヨタのセダンとして長い歴史を誇るもうひとつのシリーズが「カムリ」です。どちらかというと北米市場など海外で評価されてきたカムリ。2代目でFF化したときのカタログを振り返ると、いかに画期的だったか分かります。
初代アルファード2005年マイチェン後のカタログ

初代「アルファード」は打倒「エルグランド」からスタート! 「全部のせ」で目指すは「走るラウンジ」だった

日本の乗用車マーケットで高価格車にもかかわらず販売台数上位に入り続けているトヨタのミニバン「アルファード」。2002年に登場した初代のカタログを振り返ると、存在感ある高級ミニバンを欲する日本のミニバンユーザーの琴線に触れるマーケティングが窺われる。
初代プリメーラのカタログ

なぜ日産初代「プリメーラ」は「欧州車に追いついた」と言われたのか? 当時の「ゴルフ」オーナーが乗って驚いた実力の高さとは

当時の日産は「901活動」なる運動性能を磨き上げる活動に取り組んでいたり、実際にVWサンタナのノックダウン生産も経験済みだった。そんな背景から生まれた初代P10プリメーラは、パッケージも走りも本場の欧州車にヒケをとらない実力を身につけたクルマだった。
3代目RX-7のカタログ

バブル末期に生まれたマツダFD型「RX-7」の奇跡! ロータリースポーツの傑作は見た目も中身も贅沢の極みだった

「FD(3S型)」と呼ばれる3代目マツダ(アンフィニ)「RX-7」の登場は1991年10月。初代「サバンナRX−7」がオイルショック後の1978年に姿を現し、1985年に2代目にバトンタッチ。それら偉大だった先達2世代の跡を継いで登場したのだった。
1995年に登場した日産ラルゴ・ハイウェイスター

日産のミニバンといえば「ハイウェイスター」のルーツとなった「ラルゴ」は大人向けのカッコいいクルマだった

日産ラルゴはもともと1BOXカー時代のバネットの上級モデルとして1982年に登場し、1993年5月に3代目ラルゴとなった。1995年に特別仕様車「ハイウェイスター」が登場し、以降、他モデルでもハイウェイスターの人気が定着されていくキッカケとなった。
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