クルマを文化する
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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

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ダイハツ「ネイキッド」は元祖「着せ替えカー」だった!? 内装もDIYしやすいカスタム発想の新しい軽でした【カタログは語る】

1999年にデビューしたちょっと変わったルックスのダイハツ ネイキッドは、実用前提のクルマだっただけでなく、自分仕様に自由にイジれることも売りとしていました。「着せ替えカー」でもあったネイキッドを、当時のカタログを見ながら振り返ります。

日産3代目「フェアレディZ」はV6採用で時速250キロ達成! 後期型では未来的なスタイルに進化しました【カタログは語る】

日産「フェアレディZ」として2度目のフルモデルチェンジ、1983年9月に登場した3代目Z31型。それまで同様に北米市場を意識したZらしさは保ちつつも、世界最高レベルの高性能を追求したモデルでした。当時のカタログを通じて振り返ります。

マツダ「AZ-1」は平成「ABCトリオ」でマニアックさNo.1。ガルウイングから乗りこむための作法とは?【カタログは語る】

平成初期に相次いで誕生した軽自動車のスポーツカーたちは「ABCトリオ」と呼ばれました。今回はその中でもマニアックさではダントツだった、マツダ オートザムAZ-1を当時のカタログで振り返ります。タイトなコクピットに乗り込むには、独特の「作法」が必要でした。

スズキ「カプチーノ」がいまも愛される理由。走りもオシャレも真剣! 4通りのルーフアレンジも贅沢でした【カタログは語る】

「平成ABCトリオ」と呼ばれるホンダ「ビート」、スズキ「カプチーノ」、そしてオートザム「AZ-1」の3車。このうち、トップバッターだったビートとは半年の時間差を置いて1991年11月に市販化されたのがカプチーノでした。当時のカタログで振り返ります。

バブル生まれのホンダ「ビート」は若さ爆発!「NSX」とタメを張る走りの楽しさは紛れもないピュアスポーツでした【カタログは語る】

ホンダ「ビート」が登場したのは1991年5月のこと。軽自動車初のミッドシップ・オープン2シーターという画期的なコンセプトで、エンジンから足まわりまで専用装備が盛大におごられた贅沢なライトウェイトスポーツカーでした。若さあふれる当時のカタログを見ながら振り返ります。

バブルな日産「NXクーペ」はロールス・ロイスしかない装備を搭載! 未来志向の自称タイムマシンでした【カタログは語る】

バブル期の国産車には自由な発想で作られた個性的なモデルが数多く存在していました。1990年1月に発売された日産「NXクーペ」もそのひとつで、残念ながらヒットには恵まれなかったものの、当時ならではの贅沢なつくりは今見ても魅力的です。当時のカタログで振り返ります。

大阪万博とトヨタ初代「カリーナ」はどちらも1970年! カラフルでエネルギッシュな時代を色濃く反映してました【カタログは語る】

1970年代に入ると、理屈ではなく「新し気」なところに惹かれるクルマが次々と登場しました。トヨタ「カリーナ」もその中の1台です。「コロナ」と「カローラ/スプリンター」の中間という位置づけでした。今回は、駆動方式がFRだった3代目までをカタログで振り返ります。

スバルなのにポルシェデザイン!?「レガシィ ブリッツェン」は機能がフォルムを生んだエアロパーツが特徴でした【カタログは語る】

スバル「レガシィ」は長い歴史のなかで数々の限定モデルが生み出されてきましたが、今なお人気の高いのが2000年から販売されていた「ブリッツェン(BLITZEN)」です。ドイツのポルシェデザインとスバルが異色のタッグを組んだ限定モデルを振り返ります。
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