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日本のモータースポーツ黎明期に活躍した平林武氏と「偲ぶ会」が開かれる

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TEXT: 齋藤 優  PHOTO: 齋藤 優

ラリードライバーとして4年連続の優勝を飾った

松本カースポーツクラブ会長であった平林武さんを偲ぶ会が12月2日、長野県安曇野スイス村で行なわれた。日本ラリー界の重鎮である平林さんは、病によって去る8月31日に逝去されていた。平林さんが成し遂げた日本のモータースポーツ・ラリー競技界への功績には、至るところ親密な人間関係がオブラートされており、「平林武と偲ぶ会」では往年の氏への思いをめぐらせる話が尽きなかった。

会の題名にある「と」には、天国に旅立たれた平林さん「と」ともに、平林さんの追い求めていた日本のラリーのありかた、行く末をも語り合うという指向も漂い、氏の志しが引き継がれていくようでもあった。

平林さんは日本ラリーの黎明期ともいえる時期に最高峰のハードラリーとして名を轟かせていた日本アルペン・ラリーが、競技車も100台を超えるようになり隆盛を極めていた当時、ラリードライバーとして4年連続の優勝を飾っている。

4連覇した車両は、72年は日産ブルーバード510、73年は日産ブルーバード510、74年はスバルレオーネRX、75年は日産ブルーバードUだった。

その後、70年代のオーストラリアのサザンクロス・ラリー、80年代のケニアのサファリ・ラリーと海外ラリーへの遠征も進め、完走すら厳しい世界一苛酷なサファリ・ラリーで参戦初年度から完走・クラス優勝を遂げるなど、スバル・レオーネ、ダイハツ・シャレードなどで活躍した。

往年のレジェンドドライバーである横山文一さんが、この会で語られた平林さんとの出会いは、おたがいが20代の学生時代に日産ダットサンクラブだった。横山さんの走りに興味を持ち、関東での峠道の走りに同乗したいと平林さんが願い出たことからだという。

承諾し峠道を数度走り終えるとその体験直後、平林さんはシートに留まりしばしじっと何かに思いふけっていたという。その思いは「どうしてあのように走れるものなのだろうか…」だったのかどうか、いまはもう確認ができないが、以後、平林さんは走行にのめり込み、地元である松本方面に「おいでよ」とちょくちょく横山さんを招きいれ、濃厚な練習を重ねていったという。
走り始めからひとりではなく、様々な仲間付き合いを通して、思った信念をつらぬく姿勢の方なのだった。

ドライバー引退後はラリー競技の主催者として、全日本ラリー選手権の最終戦として注目が集まるようになってゆくMCSCラリー・ハイランドマスターズの運営を手掛け、実に46年間におよぶ大会を切り盛りしてきた。

ラリー・ハイランドマスターズでは毎年、参加選手たちが担う競技展開のドラマを、何らかの形で後押しするかのようなコース設定を運営スタッフとともに考え押し進めていた。時にはサファリ・ラリーで平林さんが味わったラリーの醍醐味をふと感じさせてくれるかのような、川渡りのあるコースを演出するなどもあったそうだ。

また、イベント開催地域への気遣いや貢献も欠かさず、運営スタッフたちには「ラリーって草刈りと側溝の掃除なんだよ」とルート界隈での所作も教え語る、家族の親父のような存在だった。

タイムアタックステージ会場に五穀豊穣を奏でる地元の和太鼓を使った演舞披露を添えてくるなど、現状にとどまらぬエンターテイメントへの追求心も高かった人である。

享年74歳。氏のご冥福をお祈りいたし、献杯。

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