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「3ナンバー」が高級車の証だったのはなぜ? 現在とは異なる昭和の珍ナンバー事情

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TEXT: 山本晋也  PHOTO: マツダ/Auto Messe Web編集部

現在の税制に近づいたのは30年前のハナシ

 ちなみに、こうした排気量によって自動車税の額が決まるようになったのは平成元年(1989年)のこと。それ以前、すなわち昭和の時代はどんなに排気量が小さくともボディサイズだけで3 or 5ナンバーになっただけで、ナンバーの違いだけで自動車税額は大きく異なりました。

 たとえば1リッター以下の5ナンバー車の年額は2万9500円でしたが、ボディサイズが3ナンバーサイズになると年額8万1500円になったのです。倍以上の自動車税を収めるわけですから、3ナンバーというのは富裕層を示すステイタスでありました。

 

2.5Lエンジンが人気、火付け役はディアマンテ

 そして平成初期の1990年代には、前述の自動車税改正によって3ナンバーは身近なものとなりました。2.5リッタークラスの3ナンバー車は、昭和の時代には8万1500円の自動車税だったのに、平成になると4万5000円となったのです。それでも、まだ3ナンバーのステイタス性は色濃く残った時代。おのずと3ナンバー車を選ぶユーザーが増え、空前の”高級車”ブームとなったのです。その象徴といえるのが、いちはやく2.5リッターV6エンジンを搭載した三菱のディアマンテでした。

 また、5ナンバーの中で高級感を競ったハイソカーの代表モデルであるトヨタ・マークIIも2.5リッターエンジンを用意することで3ナンバー化。ほかにもマツダ・センティアも2.5リッターエンジンを搭載、日産もRB25、VG25といった2.5リッター6気筒搭載モデルを広く展開して3ナンバーブームに応えました。

 つまり、1990年代の3ナンバーブームは、自動車税改正によって3ナンバー車の維持費が有利になったこと。そして、2.5リッター以下という新しい区分の誕生によって2.5リッターエンジンの旨味が増した、という2つが要因が合わさって起こったのです。

 さらに「3ナンバーへの憧れ」が残っていたこと、バブル景気の勢いが残っていたこともトレンドを後押ししました。すなわち、昭和の価値観が3ナンバーブームにつながったと言えるでしょうね。

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