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NISMOフェスティバル往年のル・マン参戦マシンが勢揃い!90年代の規則大変遷に対応を迫られた日産チーム

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TEXT: 原田 了  PHOTO: 日産自動車、原田了

本格的なGT1を開発 予備予選ではトップタイムを記録

1997年 日産R390 GT1

 市販車ベースでの限界を感じた日産は、1997年のル・マン24時間レースに向けて、よりレーシングカーに近いGT1カーを製作することになりました。

 そして英国のスペシャリスト、グループC時代の終盤にジャガーにタイトルをもたらしたトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)をプロジェクトのパートナーに迎えています。TWRに残されていたXJR-15をベースとして、XJRと同じくトニー・サウスゲートがデザインを手掛けることになりました。

 エンジンは、グループC時代の最終兵器、3.5リッターV8のVRH35Z型に、GT1の規定に合わせてリストリクター(吸気制限孔)を装着したVRH35L型を搭載していました。

 GT1規則ではベースとなる公道用市販車が必要でした、それが1台のみ生産された日産R390ロードカーでした。

 5月に行われたル・マンの予備予選ではマーチン・ブランドルのドライブでトップタイムをマークするなど、上々の滑り出しを見せました。しかし車検において、メッシュ製で冷却空気を通していたトランクにクレームが付けられ、これを改修したところレース本番では駆動系の熱害に悩まされてしまいます。そして3台のうち2台がリタイアとなり、何とか生き残った星野一義/影山正彦/エリック・コマス組が12位で完走するに留まりました。

 

前年モデルを大きく進化させ、3位表彰台を獲得

1998年 日産R390 GT1

 続く98年のル・マンに日産は引き続いてTWRと連携、前年の予備予選において速さの一端を披露したR390 GT1を進化させて臨むことになりました。

 98年型への進化として外観での大きな違いはロングテール化でした。それまでもル・マン24時間レースに参戦した多くの車両がロングテールを採用していましたが、長いストレートにおける最高速度を引き上げることが狙いでした。同時に、前年に苦しめられた熱害に対してもクーリングエアの流れを見直すなど改善がなされていました。もちろん信頼性を増すための改良も見逃せません。

 こうして進化した98年型R390 GT1のポテンシャルは大きく引き上げられていました。星野一義/鈴木亜久里/影山正彦組が予選14番手から決勝では大きくジャンプアップして3位表彰台を確保したのを手始めに、全車が10位以内(1台は97年モデルのアップデート)でチェッカーを受けることになりました。

 

GT1クラスの廃止によりLMPにコンバート

1999年 日産R391

 1998年のル・マンで、R390によって3位表彰台を獲得した日産は、更なる上位を目指して引き続き99年にもル・マン24時間レースに参戦することになりました。ただしレギュレーションが変更されGT1クラスが廃止(新設のLMGTPに移行)されたために、この年にはオープントップのLMPクラスで戦うことにして完全な新型車両であるR391を開発しています。

 R390ではパートナーだったTWRとは袂を分かち、ニスモが主体となって開発が進められました。Gフォースと共同開発されたカーボン製モノコックに搭載されたエンジンは、インフィニティQ45用のV8エンジンをベースに再設計され、NAの純レース用5リッターV8エンジンとなりました。

  2台が参戦した99年のル・マンでは、公式予選中に1台がクラッシュして決勝出走を諦めるというハプニングで始まり、残った1台、エリック・コマス/本山哲/ミハエル・クルム組も、予選12番手から追い上げて一時は4位にまで進出したものの、日付が変わる前に電機系のトラブルでリタイアとなりました。

 しかし凱旋レースとなったル・マン富士1000kmでコマス/本山/影山正美のトリオがドライブ、見事優勝を飾っています。

 

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  • 原田 了
  • 原田 了
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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