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冷蔵庫はもちろん専用シャンパングラス収納まで! 「究極VIP」専用車マイバッハが豪華すぎる

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: ダイムラー社、メルセデスマガジン

超最高級車「マイバッハ」の誕生

 1900年にゴートリーブ・ダイムラーが他界するとヴィルヘルム・マイバッハは、1907年に息子のパウル・ダイムラーに会社を譲り、自らダイムラー社を去った。その後、マイバッハはあの巨大飛行船「ツェッペリン」のエンジンを製作するエンジン会社「マイバッハ・モトーレンバウ(Maybach Motorenbau GmbH)」を1909年に設立し、息子の「カール・マイバッハ」を技術主任に置いた。当初は飛行船「ツェッペリン号」に搭載するV型12気筒エンジンを製作していた。しかしマイバッハ親子は自動車に興味を決して失っていなかった。エンジン製造会社「マイバッハ・モトーレンバウ」と飛行船「ツェッペリン」

 1918年の第一次世界大戦の終結から数年間、ドイツでは航空機や飛行船のエンジン製造が禁止され、需要縮小した事からマイバッハは自動車生産を始めた。父親の才能を受け継ぎ天才エンジニアとなったカール・マイバッハは1919年、メルセデスのシャーシに自社製の5.7L 直列6気筒を搭載したプロトタイプ「W1」を完成させた。マイバッハが1919年に製作したW1プロトタイプ

 その2年後の1921年には、初の市販モデル「W3」をベルリン・モーターショーで発表する。独創的なペダル操作の2速ギアボックスで運転の省力化をし、当時としては贅沢な4輪ブレーキも搭載。マイバッハが最初から高級車を目指していた事は明白で、その名声を確固たるものにしたのが1929年に発表した「マイバッハ12」だ。つまり、飛行船用エンジンをベースにした7L V型12気筒エンジンをすでに搭載した最高級モデルであった。12気筒マイバッハの総生産数は183台。当時12気筒エンジンを搭載した自動車は世界で「ロールス・ロイス」、「イスパノ・スイザ」、「ホルヒ」の3台で、メルセデスですらまだ試作段階でだった。そして1930年には「ツェッペリンDS7」と改名され世界最高級車として君臨した。真バッハが1929年に発表した「マイバッハ12」

 1931年にV型12気筒エンジンの排気量を8Lに拡大した「ツェッペリンDS8」を発表。DSのドイツ語の意味は「Doppel Sechs=ダブル・シックス」。エンブレムである「ダブルM」は先述の「Maybach Motorenbau GmbH」の頭文字を冠したもので、マイバッハは世界の王室、上流階級、セレブ達に愛用された。1931年発表の「ツェッペリンDS8」

 その例を挙げると、エチオピア皇帝、ギリシャ国王、オランダ女王、インドの「マハラジャ・パティアーラ王」、「ロバート・ボッシュ」や「ヴェルナー・フォン・ジーメンス」といった産業界の大御所まで…まさしく世界の上流階級に愛用された超高級車だ。マハラジャ・パティアーラ王が注文した純白の「ツェッペリンDS8カブリオレ」

 しかし、第2次世界大戦が激化した1941年には乗用車の生産をストップ。20年間での生産台数は1800台ほどに過ぎなかった。終戦後もマイバッハは乗用車の生産を再開することなく、「MTU(Motoren und Turbinen Union)」と社名を変更し、船舶や鉄道用の大型ディーゼルエンジン製造に専念。1960年に当時のダイムラー・ベンツ社がMTUの筆頭株主になり、1966年にMTUはダイムラー・ベンツ社の大型エンジン部門と合併した。

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