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伝説の名ホイール「ストリート」「弥生」! 「ハヤシレーシング」のレース愛が深すぎた

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了、Auto Messe Web編集部

レース界発祥はやがてレース界支援へも

 さてもう一つの流れ、ストリートホイールについても紹介しておきましょう。カーマンアパッチ専用に作ったアルミホイールは、一般車用にモディファイした製品を作ってはみたものの、最初のうちは将一さんのレース仲間から、時折オーダーが届くだけでした。が、やがて口コミで評判が高まり、75年辺りからは爆発的なヒットとなりました。8本スポークのハヤシスピードのストリートホイール

「それまでは月に50本程度で個人商店のようやったのが、ほとんど爆発で、もうびっくりしましたわ」と将一さんは当時を振り返っていました。ストリートホイールだけでなくデザインを一新した『弥生』とか『テクノ』などの新シリーズも一部で根強いファンをとらえることになりました。ちなみに、最近では懐古趣味というのか旧車趣味が嵩じて再び人気を集めるようになり、メイン商品であるストリートホイールだけでなく『弥生』や『テクノ』の限定復刻版もリリースされていて、こちらの人気も今なお高いようです。70年代のハヤシカーショップのPRページ

 ホイールの大ヒットに合わせて将一さんはレース界への大きなサポートを行っています。コンストラクターとしても参戦していたFJ1300のレースが疲弊し、79年からはF3へと移行する際に、当時F3のメインパワーとなっていたイタリアはノヴァ・モーター製の2T-G改ユニットをまとめて購入し、参加者に安価にレンタルすることで、新規参戦へのハードルを下げ、新カテゴリーの船出を導くという大役を果たしていたのです。さらに同業のワークやレーシングサービス渡辺とともにタイトルスポンサーとして名乗りを挙げて、少なくない額の賞金を提供したのです。

 ハヤシカーショップ/ハヤシレーシングはレースとともに成長してきたので、新しいカテゴリーのレースが誕生しようとしている際だからそれを手助けした、ということです。もちろん、アルミホイールメーカーのトップ企業としての責任も感じられますが、将一さんのレース愛も十分感じられます。ハヤシレーシングのホイール開発意欲は今でも

 そんなレース愛にあふれたプロジェクトに並行して、将一さんは慢心することなく新たなモノ作りに励んでいきました。当時も現在も市販のホイールは、4~5本のハブボルトにナットでホイールを締め付けるスタイルとなっていますが、将一さんは、これをセンターロック、つまりレーシングカーと同様に、1本のハブボルトにナットで締め付けるスタイルへのコンバージョンキットを開発したのです。

 また最近では再び人気の高まっているストリートホイールに加えて、ドラム式ブレーキの交換用パーツ(ドラム)で、アルミ製で放熱用のフィンを生やしたアルフィンドラムも開発。市販を開始するなど、モノづくりの熱は冷めることがないようです。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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