貴重な「文化遺産」が存亡の危機! 日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」跡地を絶対に保存すべき理由とは (1/2ページ)

貴重な「文化遺産」が存亡の危機! 日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」跡地を絶対に保存すべき理由とは

鈴鹿サーキットよりも古い伝統あるサーキット

 ホンダ(本田技研工業)の創業社長である故本田宗一郎さんが1962年(昭和37年)に、三重県鈴鹿市に国内初の常設サーキットとなる鈴鹿サーキットを造り上げました。翌1963年に第1回日本グランプリが開催されていますが、これが国内における近代スポーツの発祥とされています。

 しかしそれ以前にもいくつかのサーキットが誕生していました。以前、Auto Messe Webでも紹介していましたが、多摩川スピードウェイもそのひとつです。東京と神奈川の都県境を流れる多摩川の河原にあった、オリンピア球場の跡地に整備された同スピードウェイでは、誕生した1936年(昭和11年)から39年(同14年)まで6回のレースが開催されていました。

『商工大臣カップレース』スタートシーン 多摩川スピードウェイの会 1936年のオープニングレースでは、フォードを改造した車両で参戦した本田宗一郎/弁二郎兄弟が、アクシデントでクルマから放り出されてしまったものの、九死に一生を得たという出来事がありました。もし彼らがここで命を落としていたら、今の鈴鹿サーキットやホンダが存在していたかどうかはモチロンですが、国内の自動車産業としても大きな変換点となっていたかもしれない出来事でした。

 その後、1周1.2km、ダートのオーバルコース自体は取り壊されてしまいましたが、堤防に整備されたグランドスタンドは、今も当時の名残を伝えています。

跡地の解説プレート 多摩川スピードウェイの会

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