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国産旧車の顔はみんなギラギラしていた! 今はなき「メッキバンパー」の名車たち

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了,Auto Messe Web編集部

メッキ+黒帯からカラードの時代へ:ホンダ初代シビック

 もうひとつ、デザイン的にはまったく違ったアプローチで、メッキ製からカラードバンパーに移行していったのがシビックで使用されていたバンパーでした。これは1970年代のESV(Experimental Safety Vehicle=実験的安全車両)によく使われていた、シンプルで(無骨で?)チャンネル材風なバンパーで中央をブラックアウトしていたのが特徴でした。

 のちに、センターの黒い帯にはラバーの緩衝材が貼り付けられるのですが、さらに時間を経て2代目シビックでは、初代のそれではメッキされていた部分がボディと同色に塗られたのです。そうした経緯があるからか、ホンダ各車も80年代にはカラードバンパー全盛となっていくのですが、バンパーの端から端までストライプ状に黒い帯が走っていたのがとても印象的でした。

番外編:かっこいい「分割型」

 さて、デザイン的な面ではまったく違ったトライも行われていました。

 例えば1969年に登場したいすゞ・ベレット1600GTRは、国産のメジャーなモデルとしては初めて2分割式のバンパーを備えていました。

 それ以前にもホンダが1962年のモーターショーに参考出品したS360/S500のプロトモデルでは、二分割のバンパーが装着されていました。ただこちらは、市販モデルでは一般的な一直線のメッキバンパーに変更されていましたが。

 バンパーに関してはもうひとつ、興味深いトライが見られました。それは1965年に登場したトヨタ・スポーツ800、愛称“ヨタ8”でした。バンパー本体は省略され、オーバーライダー自体が独立してグリルの左右に取り付けられていたのです。

 このスタイルは1962年のモーターショーに参考出品された、プロトタイプのトヨタ・パブリカ・スポーツでも試されていましたが、1967年に登場した兄貴分のトヨタ2000GTでも継承されていました。

 対衝突安全がキッチリと課せられている現在のレギュレーションでは、これがOKとされるかはまた別問題として、格好いい・悪いという評価軸では間違いなく、格好いいバンパーでした。

 ところで、オーバーライダーのみのバンパーでは申し訳ないと思ったか(たぶんそうではないでしょうが)2000GTではヘッドライトの両脇にバンパー(風のパーツ)が取り付けられていました。 これも対衝突安全がどうのこうのではなく、同じく格好いい・悪いという評価軸では、格好いいバンパーと判断されていました。懐かしいですね。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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