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「魔術師」と呼ばれた伝説のエンジンチューナー! 今やルノーの金看板「ゴルディーニ」が凄すぎた

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

ルノーと提携しハイパフォーマンスなカタログモデルをプロデュース

 シムカとの提携を終えたあとも、単独で5シーズンに亘ってF1GPに挑戦を続けたゴルディーニ。ですが、資金的に厳しい状態が続いたことから、そのF1GP活動を終えた1956年には、新たにルノーとジョイントします。

 そして翌1957年には初のカタログモデル、ドーフィン・ゴルディーニが誕生しています。ベースとなったドーフィンは1956年に、ルノー4CVの後継モデルとして誕生した3ボックススタイルで、845cc直4のB1Bエンジンをリヤに搭載した小型乗用車です。ベースモデルでは27psに過ぎませんでしたが、ゴルディーニがチューンしたモデルでは36psと3割ほど最高出力が引き上げられていました。1966_Renault Dauphine Gordini ルノーとゴルディーニのジョイントベンチャーを、世界的にもメジャーなものに押し上げたモデルは1964年のパリサロンで御披露目され、翌1965年に販売が開始されたR8ゴルディーニでした。こちらのベースとなったのはドーフィンの後継モデルとして1962年に登場したルノー8(ユイット)。新たなメインシリーズとして前輪駆動のルノー4(キャトル)は登場していましたが、4CV→ドーフィンと発展してきたリヤエンジンの上級モデルに位置づけられていました。1964_Renault 8 Gordini

 その8のハイパフォーマンス版がR8ゴルディーニでした。ベースモデルの8は4輪ディスクブレーキを装着するハイレベルなシャーシを備えていました。ですが、さらに車高を40mm引き下げるなどサスペンションをより強化すると同時に、エンジンも同じプッシュロッドのOHVながら半球型燃焼室にバルブをV型配置するクロスフロー式にコンバート。1964_Renault 8 Gordini 956cc/40psから1108cc/95psへと最高出力を2倍以上に引き上げていました。さらに2年後の1966年にはツーリングカーレースで1300ccクラスの上限に近くなるよう、ボアを70mmφから74.5mmφへと拡大して1255cc/103psのゴルディーニ1300も登場しています。

 まだ世界選手権ラリー(WRC)が制定される以前でしたが、1956年に第1回大会が行われたクラシックイベントのひとつ、ツール・ド・コルスでは1964年から1966年まで、ルノー8ゴルディーニが見事な3連覇を果たすなど、各種ラリーやツーリングカーレースに参戦。その高いパフォーマンスをアピールしていました。1970_Renault R8 1300 Gordini

アルピーヌのエンジンチューンと世界最初のワンメイクレース

 1956年にルノーと提携し、ルノーのハイパフォーマンス・モデルを開発してきたゴルディーニは、その一方でエンジンチューナーとしての活動も続けていました。そして60年代に入るとアルピーヌとも提携し、ルノーの市販車を用をベースとしたエンジンのチューニングも手掛けるようになります。そしてルノーとゴルディーニ、さらにアルピーヌの3社の提携のもと、レーシングスポーツカーによるル・マン・チャレンジが始まりました。

 1963年には初作のA210/M63を3台エントリーしたものの、全車があえなくリタイアに終わっています。それでも翌1964年にはシャーシをチューブラーフレームに一新し、チェーン駆動のツインカムヘッドが組付けられた1149ccの新エンジンを搭載したA210/M64を投入。総合17位で完走して1150㏄以下のクラスでクラス優勝を飾るとともに、熱効率指数賞にも輝いていました。1963_Alpine Renault M63 さらに圧巻だったのは1966年のル・マンでした。M64の発展モデルとなるM66はクラス1~3位はもちろんのこと、総合順位でも11~13位につけ、さらに熱効率指数賞でも1~3位を独占していたのです。ジャン・レデールが率いるアルピーヌのシャシーが優れていたのは言うまでもありませんが、ル・ソルシエと呼ばれたゴルディーニの面目躍如といったところでした。1966_Alpine Renault A210/M66 Le Mans ルノーとゴルディーニのジョイントベンチャーは、クルマそのものだけでなく新たなレースカテゴリーをも生んでいました。世界初のワンメイクレースである『クープ・ナシオナル・ルノー8ゴルディーニ』がそれで、若いビギナーのためのレースとしてスタートしています。

 このレースからは、1976年のヨーロッパF2チャンピオンを手土産にF1GPやル・マン24時間レースで活躍、1979年のフランスGPでは、自らが開発ドライバーを務めたルノーRS10を駆って初優勝を遂げたジャン-ピエール・ジャブイーユを筆頭に、多くのドライバーが輩出されています。1977-79_Renault RS01-2・Renault-Gordini EF1 このように、さまざまなアプローチでモータースポーツとクルマに携わってきたゴルディーニは、1969年にルノーに自社株を売却してルノーの1部門としてエンジン開発を続けることになりました。そしてR12などにもゴルディーニ・バージョンが登場しています。1971_Renault R12 Gordini

 ルノーはその後、1973年にはアルピーヌをも買収していましたが、1976年にはアルピーヌから改組したルノー・スポールに旧ゴルディーニのセクションが統合され現在に至っています。そして今世紀に入ってから“ゴルディーニ”仕様や“ゴルディーニ・ルノー・スポール”仕様が追加されています。

 このように歴史を振り返ってみると、ゴルディーニが、単なるハイパフォーマンスモデルのグレード名ではないことが、とてもよく理解できます。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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