なんと驚きの50億円オーバー! わずか39台しか生産されなかったフェラーリ250GTO (1/2ページ)

なんと驚きの50億円オーバー! わずか39台しか生産されなかったフェラーリ250GTO

この記事をまとめると

  • 1962年に登場したフェラーリ250GTO
  • レースに出場するためにエボリューションモデルとして開発
  • オークションでは約54億円の値がついたことも

強引にホモロゲーションを取得したフェラーリ250GTO

 まずはフェラーリ250GTOが誕生する経緯から紹介していきましょう。舞台は1960年代序盤の世界スポーツカー選手権でした。1953年から始まった同選手権は、2座席のレーシング・スポーツカーでマニュファクチャラータイトルを懸けて戦っていました。結果、1953年から1961年までの9年間で7回のチャンピオンを獲得するなど、フェラーリの圧倒的な強さのみが目立っていました。フェラーリ250GTO

 そこでFIA(Commission Sportive Internationale=国際自動車連盟)の下部組織でモータースポーツを統括していたCSI(Commission Sportive Internationale=国際スポーツ委員会)では、1961年までは排気量3L以下のスポーツ・プロトタイプにかけられていたタイトルを、1962年から国際マニュファクチャラー選手権にタイトル名を変更。タイトルはGTカーに与えることが決定していました。

 GTカーというのは連続する12カ月間に100台を生産することがホモロゲーション(車両公認)の必須条件でした。スポーツカー専門の小規模メーカーであるフェラーリには無理な話で、要は強すぎたフェラーリを選手権から締め出してしまおう、という意図が見えてくる変更でした。ただしレーススペシャリストでもあるエンツォ・フェラーリは見事な抜け道を発見したのです。それはエボリューションモデルの存在です。

 現在でもエボリューションモデル、という考え方はあって、規定の台数を生産されたモデルをベースに改造を加えたモデルを少数だけ製作しエボリューションモデルとしての公認を受ける、ということです。1960年代のフェラーリも同様にしてGTカーのホモロゲーションを取得したのですが、前年までの主力マシンだった250GT SWB=250GTのショートホイールベース版はすでに160台ほどが生産されていたために、新たに開発する新型マシンを、この250GT SWBのエボリューションモデルだと主張したのです。フェラーリ250GTO

 強引すぎるきらいはあったのですが、この主張が見事通り、新型マシンは250GTOとしてホモロゲーションを受けることができたのです。

 ちなみに、250GTOの後継として開発された250LMは、鋼管スペースフレームに3L V12の250ユニットを搭載したモデル。1963年から制定されたGTプロトタイプ・カテゴリーの250P(鋼管スペースフレームのオープン2座)にクローズドクーペのボディを架装したようなもの。フェラーリ250GTO

 これを250GTOのエボリューションモデルとしてCSIに認めさせようとしたのですが、流石にそれは無理筋で、250LMはGTプロトタイプ・カテゴリーで戦わざるを得なくなりました。そのため3L以下にこだわる必要もなくなり、3.3Lの275ユニットを搭載して戦っています。

フェラーリは1962年から始まるスポーツカー選手権に出場するためにフェラーリ250GTOを開発。スポーツカーのお手本と呼ばれるロングノーズ・ショートデッキスタイルを採用し、数多くのレースで勝利を飾っている。ここでは、同社の魅力をあらためて振り返る。