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「6輪タイヤ」に「四輪駆動」! マシン開発とルール規制のいたちごっこだった時代の自由すぎるF1

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

イコールコンディションを打ち破るためにアイデアが百出

 もうひとつ、こちらは1969年シーズンに向けて、各チーム/各コンストラクターが考え出したアイディアですが、4輪駆動車のトライが行われていました。ウイングが規制されるのならば、駆動輪を増やして前後左右、4輪のタイヤにトルクを分ければトラクションの総計は上がる、というもの。1968年~1969年のシーズンオフにはロータスやマクラーレン、マトラが開発を続け1969年のフランスGPでロータスが63を投入。続くイギリスGPでは、マクラーレンのM9Aが1戦のみのスポット参戦を果たしています。ロータス63

 またこのイギリスGPにデビューしたマトラのMS84は最終戦のメキシコGPまでスポット参戦を繰り返しましたが、やはり好結果に結びつくことなく現役を引退することになりました。いずれもファーガソン社の4輪駆動システムを採用していましたが、システムのレベルや重量増など、ネガティブな要素も少なくありませんでしたが、何よりも専用のタイヤが開発されなかったことが大きかったようです。

 また1970年に入るとタイヤがスリック化されグリップの限界が高くなり、4輪駆動の効果も薄れてました。またこれはフォードのバックアップを得てコスワースが開発した4輪駆動のF1カーもありました。4輪駆動以外にもさまざまなトライがなされていて、一見してリアリティのないクルマに仕立てられていましたが……。結局、4輪駆動は後輪駆動に駆逐されてしまったのですが、レギュレーションに4輪駆動の禁止が明文化されたのは、それから随分と時間が経過した1983年になってからでした。コスワースの4輪駆動

 さらに歴史にも残るアイデアとなっているのが、ティレルがトライした6輪車です。1975年の秋に発表されたティレルP34は、1876年と1977年の2シーズンにわたって参戦が続けられたのです。その間、デビュー4戦目となった1976年のシリーズ第7戦・スウェーデンGPでジョディ・シェクターとパトリック・デパイエが見事な1-2フィニッシュ飾りました。シーズンを通して2人で10回のポディウムを奪うなど、同年のコンストラクターランキングでティレルは3位につけています(シーズン序盤にティレル007で獲得したポイントも含む)。ティレル6輪

 そのため4輪駆動に比べると、ちゃんと結果を残した新アイデアでした。ですが、当初の目的ではフロントタイヤをスポーツカーノーズの陰に隠れるよう小径にし、小径になってグリップが減った分、左右2輪ずつで計4輪、後輪と合わせて6輪車としました。

 当初の目的とした空気抵抗の低減は、大きなリヤタイヤのせいで期待したほどには効果が上がりませんでした。しかしフロント4輪としたことで回頭性が上がり、またブレーキも2輪から4輪とすることでキャパシティがアップするという副次的な効果もありました。ティレル6輪

 ティレルの6輪車に触発されたのか、マーチもリヤ4輪の6輪車を開発。こちらは駆動力のアップが目的のようでしたが、結果的にはレースに参加することなく博物館行きとなってしまいました。またフェラーリやウィリアムズも6輪車や8輪車を開発したとも伝えられていますが、いずれも実戦参加には至っていません。マーチ761

 この6輪車や8輪車に関してもFIA/FISAが車両規定を改定し、1983年からは「車輪は4個まで」と明文化されたため、以後トライするチームは出てきていません。このように、チームが思わぬアイデアを具現化し、FIA/FISAもある時は見て見ぬふりをし、またある時は規制を強化して禁止してしまう、ということを繰り返してきました。

 その、ある意味“いたちごっこ”的な面白さもあったのですが、テクノロジーが成熟しきった現在では、それを望むのは無理なのでしょうね。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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