やっぱり昔のフランス車はぶっ飛んでる! 3座な上に世界初のミッドシップ市販車になるはずだったヴィミーユがハンパない (1/2ページ)

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やっぱり昔のフランス車はぶっ飛んでる! 3座な上に世界初のミッドシップ市販車になるはずだったヴィミーユがハンパない

この記事をまとめると

  • 戦前の名ドライバーが戦後に計画したGTカー
  • 3座シート、交換チューブラーフレーム、ミッドシップと時代を先駆けた設計だった
  • フォードの協力で市販化は目前だったが思わぬ悲劇で頓挫

戦後のスポーツカーの歴史を変えていた可能性大

 昔に比べたらずいぶん、フランス車も日本でフツーの選択肢になって増えてきた。

「でもフランス車乗りって、ヘソ曲がりかドイツ車が買えない一部の変〇さんでしょ?」

 いやちょっと待て。じつは昔っからインターナショナルで、キワッキワまで攻めたエリート主義的アイデアを、なんとかデモクラタイズ(民主化、広めること)して大量生産ベースにのせんと、使命感とヤマっ気で突っ走るのがフランス車の常。当たれば新時代を先駆け、後で振り返れば名作……もあれば、道半ばで大ゴケしたけど味わい深さは格別。それがフランス車の特徴と醍醐味だ。前者の例は「シトロエンDS」や「アルピーヌA110」、ルノーやプジョーの歴代小型ハッチバックだろうが、今回は悲劇的な大ゴケの1台、だが戦前と戦後の自動車史を股にかけた野心作、「ヴィミーユ」を紹介しよう。

戦前に一世を風靡したフランスの名ドライバーが考案

「ヴィミーユ(Wimille)」とは戦前のフランス人の名ドライバー、ジャン・ピエール・ヴィミーユのこと。1906年のパリ生まれで、どのぐらい凄かったかといえば、22歳ごろからレースを始めて1932年にまずフランスGPで勝利、1937年にはル・マン24時間を「ブガッティ・タイプ37」で制覇し、当時の平均速度(アベレージ)世界記録をレース中とモンレリーのテストコースの双方で塗り替えた。

 1939年には2度目のル・マン出走で2度目の優勝を勝ち取り、このときもブガッティ・タイプ37を駆って、組んでいたもうひとりのドライバーはピエール・ヴェイロン。W16クワトロターボの最高速400km/hオーバー車、あの「ヴェイロン」の由来、その人だ。いずれヴィミーユは当代随一の呼び声高いドライバーとして、あのファン・マヌエル・ファンジオも手本にしたと言及したほど。戦後にF1が世界選手権として始まる際には、ドライバーズ・チャンピオンの最右翼とされていた。

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ル・マン24時間で2回優勝しているジャン・ピエール・ヴィミーユ画像はこちら

時代のはるか先をいくマシンはフォードV8搭載

 そんなヴィミーユは、戦後に自動車がやがて大衆に爆発的に普及すると予想し、量産を前提に考案した。それが彼の名をとった「ヴィミーユ」というGTカーだった。3人乗り前席の中央がドライバーズシートで、その背後にフォード・ヴェデットのV8エンジンをミッドマウント。鋼管チューブラーフレームにコンパクトで空力を意識した水滴型ボディを採用、Cd値は驚異の0.23だったという。いかにも玄人考えの、居住性も運動性能も重視した一台だった。

 あの当時、大量生産ノウハウに秀でたメーカーといえばフォード。当代一流のレーサーが考案したこのモデルを生産に移す契約を、フォードはヴィミーユと結び、プロトタイプは1948年のパリ・サロンにてフォード・ブースで出展された。

交換チューブラーフレームに空力ボディという当時としては先進的な設計思想画像はこちら

世界初のミッドシップ市販車となるはずだった

 戦前にもアルミニウムでスーパーレジェーラ工法を採用したツーリング社のアルファロメオやBMWはあったものの、鋼管チューブラーフレームを量産車のボディ・アーキテクチャー技術として用いる、そんな考え自体が進歩的だった。

 それを「メルセデス・ベンツ300SL」が実現して登場したのは1954年。戦前の「アウトウニオンGPカー」が先駆けたものの、ミッドシップはF1でさえ1957年の「クーパー・クライマックスT43」が初採用例で、初のミッドシップ市販車は1962年登場の「マトラ・ジェット」を待たねばならない。いかにヴィミーユが一足飛びに前衛かつ斬新だったか、うかがい知れるし、もしこれが実現していたら、クライスラーV8を積んだラグジュアリー・フレンチGT「ファセル・ヴェガ」はどうなっていたか。

フォード・ヴェデットのV8エンジンをミッドマウント画像はこちら

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