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ライトウエイトスポーツの極み! 非力だが格上より速かった「ヨタハチ」伝説

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/トヨタ自動車/Auto Messe Web編集部

戦闘機のようなキャノピーからポルシェに先んじたタルガトップに

 さて、そんなトヨタ・スポーツ800は、愛らしいデザインで1965年に登場するや「ヨタハチ」のニックネームで多くのファンに愛されることになるのですが、デビューの3年前、62年のモーターショーには「トヨタ・パブリカ・スポーツ」の名でプロトモデルを出展。ノーズのモチーフは共通でしたが、通常のドアではなくサイド/リヤウインドウとルーフが一体式で後方にスライドして開く、まるで戦闘機のようなキャノピーが話題を呼んでいました。

プロトタイプではルーフがスライドするキャノピーだった

 もちろんこのままでは市販化も覚束ないところでしたが、2年後、64年のモーターショーには市販モデルとほぼ同じデザインで仕上げられた「パブリカ・スポーツ」として展示されています。太めのリヤピラーからルーフに回り込んだ部分までがボディと一体式となり、ルーフトップ部分のみが取り外せる、いわゆるポルシェの「タルガ・トップ」と同構造になっていました。

 ちなみに、タルガ・トップを最初に名乗ったのはポルシェで、1967年にのフランクフルトショーでお披露目されていますが、初搭載はトヨタ・スポーツ800のほうが2年も早かったのです。ポルシェに先んじたタルガ・トップはファンには堪えられないでしょう。

ポルシェより先に「タルガ・トップ」を搭載した

いち早くアルミを活用した軽量ボディ

 それはさておき、トヨタ・スポーツ800の開発のキモである軽量化ですが、62年のモーターショーに登場したプロトモデルではごく薄いスチールパネルを2枚使用。その2枚のパネルの間には発泡したウレタンを挟み込むという手間のかかる製作手法もトライされていましたが、市販モデルでは国内では初となるアルミパネルをプレス成形したアウターパネルを採用していました。タルガトップ式に取り外せるルーフトップもアルミ製でした。

 こうした努力の結果、車両重量は580kgに抑えられています。ちなみにボディサイズは全長×全幅×全高が3580mm×1465mm×1175mmでホイールベースは2000mmちょうど。まさに軽量コンパクトな1台に仕上がっていたのです。

軽量コンパクトで車重わずか580kg

 もうひとつのキモ、空気抵抗の徹底的な低減について。開発を統括した長谷川龍雄主査は東京大学の航空科出身で航空分野への造詣も深く、現在では当然のようになった風洞を使った実験が一般的になる以前でしたが、開発の現場となった関東自動車工業の回流水槽を使った実験が繰り返されていたようです。

空力性能をアピールする当時のカタログ

わずか45psの2気筒エンジンながらレースで活躍

 トヨタ・スポーツ800のエンジンは初代パブリカが搭載していたU型エンジンをベースに、排気量を800ccに拡大し、圧縮比を7.2から9.0まで高めるとともにツインキャブを装着して最高出力を高めていましたが、それでも45psに過ぎませんでした。それでいて最高速は155km/hを達成していたのですから、空気抵抗が小さかったことは想像に難くありません。それはレースにおいても大きな武器となったようで、1966年の鈴鹿500kmでは、レースを無給油で走り切った細谷四方洋が大排気量車を尻目に優勝を飾っています。

2気筒エンジンはツインキャブ化してようやく45psだった

12
  • トヨタ・パブリカ700
  • プロトタイプではルーフがスライドするキャノピーだった
  • ホンダS500
  • 小型大衆車パブリカの1.5倍の価格で販売された
  • ポルシェより先に「タルガ・トップ」を搭載した
  • 2気筒エンジンはツインキャブ化してようやく45psだった
  • 1965年のカタログ表紙
  • 空力性能をアピールする当時のカタログ
  • 軽量コンパクトで車重わずか580kg
  • トヨタ初のスポーツカーとして1965年に誕生した「スポーツ800」
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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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