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少年を熱狂させたランボルギーニは水面下で苦難の連続だった! トラクターから始まったその歴史を紐解く

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TEXT: 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)  PHOTO: 高桑秀典

  • カウンタックLP500S ウルフ・スペシャル ♯1のシザースドア

  • カウンタックLP500S ウルフ・スペシャル ♯1のシザースドア
  • ランボルギーニ350GTVのフロントスタイル
  • ランボルギーニ・ミウラの生産ライン
  • ランボルギーニ・カウンタック
  • Minardi 191B F1
  • カウンタックLPI 800-4

スーパーカー世代を熱狂させたランボルギーニの歴史とは

 ミウラやカウンタックを誕生させたことで知られるランボルギーニは、農耕用トラクターなどの製造で財を成した実業家で、熱心な自動車趣味人でもあったフェルッチオ・ランボルギーニが1962年に設立したスーパーカーメーカーだ。本社はイタリアのサンターガタ・ボロニェーゼにある。フェルッチオ・ランボルギーニ

 往時のスーパーカーがフェルッチオを満足させるものではなく、フェラーリ社に対抗するためにアウトモービリ・ランボルギーニを設立したといわれている。だが、自身のフェラーリを分解した際にトラクター用パーツと同じクラッチ板が採用されていることに気づき、しかもそれが高額な価格設定であったことを理解していたので、フェラーリをライバル視しつつスーパーカービジネスは儲かると考えていたとみるのが妥当だろう。

ランボルギーニ初のモデルは高級GTの350GTVであった

 いまとなっては本当にフェルッチの言葉なのか知るよしもないが、スーパーカーの生産に乗り出したときに「助手席に座るご婦人のメイクが汗で落ちないような快適なクルマを造りたい」とフェルッチオが考えていたいう有名な逸話がある。1号車として開発されたプロトタイプカーの350GTVは、生粋のスーパーカーというよりもフランコ・スカリオーネがデザインしたエレガントなボディを持つ高級GTであった。ランボルギーニ350GTVのフロントスタイル

 初の市販車として、カロッツェリア・トゥーリングがボディの手直しを担当した350GTを1964年にリリースしたランボルギーニは、1966年に350GTの発展版である400GT 2+2を発売。V型12気筒エンジンを積んだ高級GTを得意とするブランドとして富裕層の顧客を増やした。そして、400GT 2+2と同年に発表したミウラおよび1969年に開発したワンオフのテスト車両/レーシングカーであるイオタで、スーパーカーメーカーとしての地位も確固たるものとした。ランボルギーニ・ミウラの生産ライン

 その後、ハイパフォーマンス2+2GTのイスレロおよびフロントエンジン/4シーターのエスパーダを1968年に、イスレロの後継モデルであるハラマおよび初のV型8気筒エンジン搭載車のウラッコを1970年にリリースしたランボルギーニは、カウンタックを1973年に発売。ウラッコの後継モデルであるシルエットも1976年にリリースし、スーパーカーブーム全盛時にフェラーリと人気を二分する存在となった。ランボルギーニ・カウンタック

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