世界の富裕層を魅了する「フェラーリ」はレースのために生まれたブランドだった (2/2ページ)

市販車のクオリティアップを図ったモンテゼーモロ

 1973年にルカ・ディ・モンテゼーモロをスクーデリア・フェラーリのマネージャーとして招き入れてからはチーム運営の第一線から離れたが、ドライバー選択などには大きな影響を与え続けた。そして、テスト走行を自社の敷地内にあるフィオラノサーキットの別邸で見守ること、地元イタリアGPの練習走行に顔を出すことがおもな活動内容となった。F1グランプリの決勝レースはテレビ中継を見ていたといわれている。

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 市販車のほうでは、1950~60年代を代表するV型12気筒エンジン搭載車の250シリーズが、275、330、365へと発展。1970年を迎えた時点でV型12気筒エンジンをフロントに積んだ各車と、V型6気筒ユニットをミッドシップの位置に搭載するディーノを生産していた。フェラーリ画像はこちら

 当時のトップモデルは1968年登場の365GTB/4デイトナで、フロントエンジンにこだわりながらランボルギーニをはじめとするライバルに対抗した。しかし、他ブランドのスーパーカーがミッドシップを採用し始めたこともあり、デイトナの後継車として1973年に市販が開始された365GT4/BBは、フェラーリ初の12気筒ミッドシップ車となった。フェラーリ画像はこちら

 ディーノは1973年にV型8気筒を積んだベルトーネ・デザインの308GT4に発展。その後、ピニンファリーナ・デザインの308GTBが1975年にリリースされ、この308シリーズのラインが今日まで続くV8ミッドシップフェラーリの始祖となった。365GT4/BBをルーツとする180度V型12気筒エンジンミッドシップ車は、1990年代までフラッグシップモデルとして君臨した。フェラーリ画像はこちら

 創業40周年記念モデルであるF40発表の翌年、1988年8月14日にエンツォ・フェラーリは死去。その後、社長に就任したルカ・ディ・モンテゼーモロが市販車のクオリティアップを図ったことで好調なセールスを記録している。成績不振だったスクーデリア・フェラーリも建て直し、F1グランプリにおいて1999年から2004年まで6年連続でコンストラクターズチャンピオンを獲得するまでになった。フェラーリ画像はこちら

 現在もフェラーリの各車は自動車趣味人を魅了し続けており、これからも圧倒的なカリスマ性を誇ったエンツォ・フェラーリの威光が色褪せることはないのであった。