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ゴルフ場のカートのような車があった! フランスの天才エンジニアが作った「ヴォワザン・ビスクーター」とは

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TEXT: 長尾 循(NAGAO Jun)  PHOTO: 長尾 循/Courtesy of RM Sotheby's/AMW

第二次大戦後は一転してシンプルな大衆車を企画

 工場を手放したその年、1938年には設計コンサルタント会社「L’Aéromécanique(航空力学)」を設立したガブリエル・ヴォワザン。その後まもなく第二次世界大戦が勃発する。そして終戦。二度の世界大戦を体験した彼が、戦後ヨーロッパの復興に必要なのは耽美的な高級車ではなく庶民のための簡便な移動手段だと考え、企画したのがこの「ビスクーター」である。その試作モデルが発表されたのが、1950年のパリで開催された二輪のショー「サロン・デュ・サイクル・デ・ラ・モト」会場だったということも、そのコンセプトがクルマというよりも「四輪スクーター」といったものだからであろう。

 エンジンは2ストローク単気筒125cc、始動はクランクハンドル。フロントエンジン・フロントドライブだが、デフは備えず駆動は右前輪のみ。リバースギヤも持たないという徹底ぶりだ。トランスミッションは3速だが副変速機を備え、実質6速。これは戦前のヴォワザンにも見られた凝った機構だ。

 簡素きわまりないボディはアルミのリベット留めだが、その姿は戦前のGPマシン、「ヴォワザン・ラボラトワール」のイメージにも通じる。クルマの設計を生業にしつつも、その会社を「L’Aéromécanique(航空力学)」と名づけたことにも、ヴォワザンの出自と矜持を感じる。この試作型ビスクーターは15台が作られたという。

スペインで1950年代に庶民の足として親しまれた

 しかし、ガブリエル・ヴォワザンが、彼の手放した古巣の会社にこの企画を持ち込んでも、このプロジェクトに興味が示されることはなかった。すでに当時のフランスは、ルノー「4CV」やシトロエン「2CV」の時代になりつつあったのだ。

 そこでヴォワザンは、スペインはバルセロナのオートナシオナル社に企画を持ち込み、同社でのライセンス生産が決定する。オートナシオナル製の量産型ビスクーターは、エンジンをフランスのノーム・エ・ローヌ製に代えてスペインのイスパノ・ヴィリアーズ製2ストローク・エンジンとしたうえで、1953年から生産が始まる。その後ボディ形状や乗車定員などいくつかのバリエーション展開を行いつつ1960年まで連綿と作り続けられ、スペインで庶民の足として親しまれたのである。

* * *

 フランスの天才技術者ガブリエル・ヴォワザンが設計し、1950年代のスペインで親しまれたビスクーター。その生産台数は約1万2000台と言われている。これは、戦前に生産された「絢爛豪華なヴォワザン」の総生産台数よりも多い。

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  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。
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