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心躍った美しさ! マツダ「ルーチェ ロータリークーペ」はベルトーネを元にした日本のデザインでした

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

ベースとなったルーチェのセダンとはフロアパンが一新され、前輪駆動を採用

 それでは1969年に市販されたルーチェ・ロータリークーペのメカニズムを紹介していきましょう。搭載されたエンジンは、専用設計で13A型を名乗る水冷直列2ローターRE。排気量は1310cc(655cc×2ローター)で最高出力は126psでした。

 専用設計とされたのは、駆動レイアウトがフロントアクスルの前にエンジンを縦置きとする前輪駆動を採用していたから。このパッケージングでは搭載されるエンジンは、フロントのオーバーハングに張り出す恰好となるだけに、その全長をなるべく短くしたかったから、というのが最大の理由だったようです。

 普通のレシプロエンジンでは、排気量はボアのサイズで決まるピストン・トップの面積とストロークをかけ合わせて算定しますが、ロータリー・エンジンの場合は単室容積(=燃焼室の最大値-燃焼室の最小値)×ローター数となっています。ローターの厚みを増すことでも排気量は拡大できますが、これはレシプロでいうならボアを拡大するようなもの。

 一方レシプロでいうところのストロークを上げるような手法が、この13Aエンジンの排気量を引き上げた手法で、具体的にはローターの外径とローターハウジングの内径をサイズアップしていました。こうすることで全長を長くすることなく排気量を拡大することが可能になったのです。ちなみに1967年デビューのNSU Ro80も、2ローターREをフロントに縦置きマウントした前輪駆動を採用していました。

 ボディスタイリングは、1966年に登場したルーチェの4ドアセダンがベースになっています。先にも触れたようにルーチェの4ドアセダンはスタイリングをイタリアのベルトーネに依頼し、当時チーフスタイリストを務めていたジョルジェット・ジウジアーロが手掛けていました。その4ドアセダンのデザインをベースに、マツダの社内でデザインされたモデルがロータリークーペでした。

 とは言うものの、全長×全幅×全高の3サイズとホイールベースが4ドアセダンの4370mm×1630mm×1410mm/2500mm、からロータリークーペでは4585mm×1635mm×1385mm/2580mmと、全長とホイールベースが、それぞれ215mm/80mmもサイズアップ。しかも4ドアセダンがコンベンショナルな後輪駆動だったのに対して、ロータリークーペは、当時はまだまだ先進的に過ぎた前輪駆動でしたから、クルマとしてトータルで考えるなら、両車は似て非なるもの、というべきかもしれません。

 ちなみにサスペンションは4ドアセダンがダブルウィッシュボーン/リーフ・リジッドだったのに対してロータリークーペはダブルウィッシュボーン/コイルで吊ったセミトレーリングアームとなっていました。フロントサスペンションはともにダブルウィッシュボーンでしたが、4ドアセダンがコンベンショナルなコイルスプリングで吊るスタイルだったのに対し、ロータリークーペではナイトハルト式トーションラバースプリングが用いられています。

 これは軽乗用車のR360やキャロルで使用されてノウハウが蓄積されていたもので、ソフトな乗り心地と軽量化を両立できる方式とされていました。ただし、ルーチェ・ロータリークーペに関して言うなら、こうしたメカニズムを云々する以前に、まずはジウジアーロが手掛けた(4ドアセダンをベースにマツダ・オリジナルで仕上げた)スタイリングの2ドアクーペありき、で始まったプロジェクトとすればその立ち位置がより明快になります。

 新旧さまざまな、そして個性的……つまりはコンベンショナルでもコンサバでもないメカニズムが盛り込まれていることも、ルーチェ・ロータリークーペをマツダのロータリー・ラインナップのフラッグシップに位置づけようとするものだったのではないでしょうか。

 いずれにしても、中学生のころ、兄が買ってきた自動車雑誌でルーチェ・ロータリークーペの写真を初めて見たときの感動は、それまでの人生で五指に入る強烈なもので、そのスタイルに心躍らされる感は今も続いています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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