「GT-R」と張り合ったマツダ「ファミリアロータリークーペ」羊狼の心臓は「コスモスポーツ」と同じ2ローターREでした (1/2ページ)

「GT-R」と張り合ったマツダ「ファミリアロータリークーペ」羊狼の心臓は「コスモスポーツ」と同じ2ローターREでした

「RE恐るべし!」をアピールしたファミリアロータリークーペ

 世界で初めてロータリー・エンジン(RE)の量産化に成功した東洋工業。フラッグシップ・スポーツカーとして1967年に発売したコスモスポーツは、世界初のマルチ・ローター搭載車としても知られています。今回はそれと同じエンジンを搭載したコンパクトな2ドアクーペ、ファミリア・ロータリークーペを振り返ります。

コスモスポーツで実現した2ローターREをよりポピュラーな存在に

 軽3輪トラックで戦前から自動車産業に携わってきたマツダ(当時は東洋工業)は戦後も軽3輪トラックを主力商品に据えながら小型4輪トラックを開発。少量生産したのち、1960年に登場した軽乗用車のR360クーペで軽4輪乗用車市場に進出しています。

 さらに1962年には大人4人が乗れる軽乗用車、キャロル360で4輪市場に本格進出。その後、1963年に小型商用車のファミリア・バンを発売し、翌1964年にはその乗用モデルであるファミリア・ワゴンと、本格的な乗用車となるファミリア4ドアセダンを登場させました。その後もファミリア2ドアセダン、ファミリア・トラック、そして1000ccエンジンを搭載したファミリア・クーペや4/2ドアセダンの1000cc版などを立て続けに投入し、ファミリア・シリーズの充実を図ったのです。

 そのファミリア・シリーズは1967年に初のモデルチェンジを受けスタイリングを一新。エンジンも1000ccに一本化され、のちに1200ccモデルも追加投入されて上級シフトが明らかになっています。そんな2代目ファミリアの、トップモデルとなったのがコスモスポーツと同じ2ローターのREを搭載したファミリア・ロータリークーペです。

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 ちなみに、フルモデルチェンジで2代目が登場した時点では、初代モデルのトップグレードだった2ドアクーペは存在していなく、ファミリア・ロータリークーペがシリーズ唯一の2ドアクーペでした。ロータリークーペが登場した3カ月後に1200ccのレシプロ・エンジンを搭載してラインアップに加えられています。登場のタイミングからは、同時開発ながらロータリークーペに主力が置かれ、その分先行したということでしょう。

 ファミリア・ロータリークーペのメカニズムで最大のポイントはやはり、REを搭載していたことです。ということでまずはREの解説から始めます。REの基本特許は発明者であるフェリックス・ヴァンケル博士がNSUと共同開発したヴァンケル・エンジンが原点となっています。

 ただし彼ら自身も、その基本特許を購入したほとんどの自動車/2輪車/汎用エンジンのメーカーも、熟成されるまでの開発を完了することができませんでした。運転を続けていくとローターハウジングの内面に、ローターによって“チャターマーク”と呼ばれるひっかき傷をつけられてしまうという問題点が解決されなかったのです。

 基本特許購入者の中で唯一、その“チャターマーク”の問題を解決したのがマツダでした。その自負もあって、欧米ではヴァンケル・エンジンと呼ばれることも多かったエンジンを、マツダではロータリー・エンジンと名付けていて、今ではそれが一般的な呼び名となっています。

 NSUが1964年に発売したヴァンケル・スパイダーに、RE搭載モデルの“市販第1号”の座は譲っていたもののマツダが1967年5月に発売したコスモスポーツは、世界で初めてマルチローターのREを搭載した市販モデルとして自動車史にその名を残すことになりました。

 もっとも、ヴァンケル・スパイダーも、NSUが第2弾として発売したRo80も、工業製品としては“未完成”だったとの評価もあり、REを完成の域にまで熟成させたマツダの技術者に対しては、世界的にも高い評価が与えられているようです。