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日産「マーチ」復活希望! 伝統のコンパクトカーはいかにして登場し歴史をつくったのか

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TEXT: 近藤暁史(KONDO Akifumi)  PHOTO: 日産自動車

  • マーチのイメージカット

  • マーチスーパーターボ
  • 3代目マーチ

伝統ある日本のコンパクトカーの車名は続々消滅

 日本の場合、コンパクトカーというのは今でこそ定着している感があるが、個々の車種については振り返ってみると意外に少なかったりする。やはり、日本の場合は軽自動車がメインというのが大きな理由だろう。リッターカーという呼ばれ方もあったが、これも軽自動車に対して排気量が1Lあるという付属的な意味合いが含まれていたように思う。

 とはいえ、各メーカーともに何車種かは伝統的なモデルがあった。トヨタの場合は「スターレット」や「タコツー」(ターセル、コルサ、カローラII)あたりだが、「ヴィッツ」、そして「ヤリス」に統合される形で、それらは消滅。日産の場合はなんといっても「マーチ」で、ご存知のように後継車はあるかもしれないが、すでに生産は終了し、復活の噂はあるにしてもラインアップからは途絶えている状態だ。

パルサーより小型のクルマとして登場した

 1982年に登場したマーチは、「パルサー」などが下限となっていた日産のなかで空白となっていた小型クラスを埋めるべく登場した。息の長い、しっかりとしたベーシックモデルを作り上げるということで、10年間はフルモデルチェンジしないと明言しての登場も、日産の本気ぶりが伝わってきたところだ。

 デザインはかのジウジアーロが担当。ジウジアーロは同時期に別のメーカー向けに同じようなデザインを提供する傾向があったが、初代マーチについてはフィアットの「ウーノ」に似ているといえば似ている。また車名は公募で決められたもので、565万通もの応募があったという。

 また、CMキャラクターには近藤真彦を起用して「マッチのマーチ」がキャッチーであったし、マーチのワンメイクレース、マーチカップに自身も参加したことが現在のKONDO Racingにつながっていたりと、トピックスは多い。

 そのほか、ラリー向けに「R」を設定したり、その市販版である「スーパーターボ」も、それぞれターボとスーパーチャージャーの2段過給(ダブルチャージ)を採用するなど、小型車ながら過激な走りを楽しむことができた。なお、スーパーターボに先駆けて、ターボのみの「マーチターボ」も登場している。気になる出力はターボが85psで、Rとスーパーターボが110psを発揮した。

マーチスーパーターボ

 そのほか、Be-1、パオ、フィガロの日産パイクカーシリーズのベースにもなるなど、さまざまな活用がされた。

 多彩な初代マーチだったが、実用グレードはというと、必要にして十分。華はなくても実用車としての資質は高く、パッケージングや経済性など、どこを取っても満足度が高いもので、10年売り続けると宣言しただけのことはあった。

スポーツモデルはないが実用車に磨きをかけた2代目

 登場から10年後の1992年にK11型と呼ばれる2代目へとスイッチする。ターボはおろか、スポーツグレードは一切設定されなかったものの、その分実用性に磨きをかけている点に注目。デザインも直線基調から丸みを帯びた可愛らしい感じとなって、女性を中心に大きな支持を得た。マーチボックスと呼ばれるワゴンが追加登場したのもトピックスのひとつだ。

 メカニズム的にもトピックスはあって、当時提携していたスバルからCVTを供給してもらい、日産初で搭載したことは先駆けとして重要だろう。セールス的にも大ヒットとなり、日本カー・オブ・ザ・イヤーだけでなく、日本車初の快挙として欧州カー・オブ・ザ・イヤーも受賞している。

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