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もはやバイクの面影なし!レース用「サイドカー」はシャシー構造も走り方もまったく異次元

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TEXT: 佐藤 圭(SATO Kei)  PHOTO: 日本レーシングサイドカー協会/熊野正人/futaba_AFB/KUMA/Hirofumi Kawano

ニーラーポジションが変えたレースの常識

同じくアクセルやブレーキを操作する「ドライバー」も、一般的なバイクのライディングに近い姿勢から、レーシングサイドカー独特のものへと変化していった。膝(Knees)をつき上半身を前へ伸ばす「ニーラー」ポジションと呼ばれる乗車体勢は、1949年から3年連続で世界チャンピオンとなったエリック・オリバーが発祥だという。椎間板ヘルニアを患っていた彼が、身体に負担の少ない姿勢を考慮した結果であったが、ニーラーポジションにはマシンの重心を下げられるという非常に大きなメリットがあり、他のドライバーも追随して今に続くサイドカーの基本的な乗車姿勢が確立された。

続いてエンジンやシャシーの大まかな変遷を見ていきたい。初期はイギリスのノートン製の単気筒エンジン、その後BMW製の水平対向2気筒が主流となり、さらには大排気量の2ストロークへと進化する。ただし当時は適当な2ストロークエンジンがなく、なんと船外機のエンジンをベースにしていたという。

転機となったのはヤマハのTZシリーズの登場だ。性能も信頼性も船外機を改造したエンジンとは段違いに優れており、TZ500をベースとしたエンジンは1977年から1988年の長期にわたってタイトルを獲得。ヤマハが販売を終了してからも、サイドカーレースの世界では豊富なノウハウを武器に愛用され、4ストロークエンジンが登場する1990年代後半までメインストリームであり続けた。

シャシーは黎明期こそシンプルなスチールパイプフレームだったが、1970年代からモノコック構造を持つフレームへ徐々に移行が進み、2026年の現在においても日本のみならず世界で主流となっている。

レースとしての大きな節目は1996年。クラスの統廃合と興行化が進むWGPから分離し、サイドカーレースは独自の道を歩むことを選んだ。カテゴリーは究極のレーシングサイドカーといえる世界選手権のレギュレーションに準じた「F1」から、2輪らしさを残した作りの「F2」、そして日本の独自規格を採用した小排気量の入門クラス「F4」と続く。ほかにも公式なレースではないが、小排気量の空冷エンジンを搭載したクラシックなテイストの車両を自作し、走りを楽しむグループもある。

日本では世界選手権こそ開催されていないものの、関東を中心に全国のサーキットでシリーズが組まれ、2輪や4輪と変わらぬ熱い戦いを繰り広げている。次回は最高峰であるF1カテゴリーの車両をサンプルに、レーシングサイドカーのメカニズムに迫ってみたい。

なお、取材に協力していただいた日本レーシングサイドカー協会事務局の冨本至高さんは、ドライバーとパッセンジャーの両方で王座に輝いており、サイドカーレースの魅力をもっと世に広めたいとの気持ちから読み応えのある小冊子を発行している。興味を持った人は日本レーシングサイドカー協会に問い合わせるか、販売サイトで購入してみてはいかがだろうか。

取材協力:日本レーシングサイドカー協会

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  • 佐藤 圭(SATO Kei)
  • 佐藤 圭(SATO Kei)
  • 1974年生まれ。学生時代は自動車部でクルマ遊びにハマりすぎて留年し、卒業後はチューニング誌の編集部に潜り込む。2005年からフリーランスとなり原稿執筆と写真撮影を柱にしつつ、レース参戦の経験を活かしサーキットのイベント運営も手がける。ライフワークはアメリカの国立公園とルート66の旅、エアショー巡りで1年のうち1~2ヶ月は現地に滞在。国内では森の奥にタイニーハウスを建て、オフグリッドな暮らしを満喫している。
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