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  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 1949年生まれで幼少の頃から車に興味を持ち、40年間に亘りヤナセで販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特にメルセデス・ベンツ輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版のカタログや販売教育資料等を制作。またメルセデス・ベンツの安全性を解説する独自の講演会も実施。趣味はクラシックカー、プラモデル、ドイツ語翻訳。現在は大阪日独協会会員。

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SLS AMG

ガルウイングにした本当の理由は? AMG初の独自開発「SLS AMG」はメルセデス・ベンツ「300SL」の再来でした

AMGがイチから作り上げた伝説の名車が、メルセデス・ベンツ「SLS AMG」です。名車「300SL」を彷彿とさせる特徴的なガルウイングドアを採用したエクステリアに注目が集まりますが、パワートレインなどにもAMGが理想の走りを具現化するべくノウハウを注ぎ込んでいます。
300TEとブラウヒッチュ

逮捕に亡命…メルセデスの実力派レーサーの波乱万丈の物語「マンフレッド・フォン・ブラウヒッチュ」の憎めない97年の人生とは

メルセデス・ベンツの問題児レーサーとして活躍したマンフレッド・フォン・ブラウヒッチュ。第二次世界大戦後は、波乱の人生を送ることになりました。どのような出来事があったのかをあらためて紹介していきます。
ブラウヒッチュ

メルセデスの実力派「マンフレッド・フォン・ブラウヒッチュ」が不運のレーサーと呼ばれた理由は? タイヤパンクに車両火災…で幾度も勝利を逃したのでした

メルセデス・ベンツで戦ったレーサーは数多いが、そのなかでも今回注目したいのが、不運のレーサーと呼ばれたマンフレッド・フォン・ブラウヒッチュだ。実力は十分だったが、アクシデントなどで勝利を逃すことも多かった。そんなブラウヒッチュの不運なレースを紹介する。
W25

メルセデスの「シルバーアロー」誕生は問題児レーサーのひとことがきっかけでした。マンフレッド・フォン・ブラウヒッチュとはどんな人物?

メルセデス・ベンツのレーシングカーはシルバーアローと呼ばれていますが、そのきっかけとなったのはレーシングドライバーのマンフレッド・フォン・ブラウヒッチュのひらめきでした。どのようなエピソードがあったのかをあらためて紹介します。
メルセデスのロゴ

「最善か、無か」以外にもあったメルセデス・ベンツ名言集。歴代エンジニアのクルマへのこだわりがハンパありません!

メルセデス・ベンツはこれまで数多くのエンジニアたちが名車を生み出してきた。メルセデス・ベンツ生みの親であるゴットリープ・ダイムラーが発した「最善か無か」という言葉があるが、それ以外にも多くの名言が生まれている。そこで、今回はメルセデス・ベンツのエンジニアたちの名言を紹介する
W114

460万キロ走破した個体も! メルセデス・ベンツの初代コンパクトシリーズ「W114/W115」は質実剛健なファミリーカーでした

今回はメルセデス・ベンツの史上で初代コンパクトシリーズとして、モダンでファミリー層の人気を博したW114/115を紹介します。1972年にヤナセへ入社した筆者自身が毎朝洗車した愛着があり、質実剛健なクルマ造りに感銘を受けたメルセデス・ベンツの車両でもあるのです。
ベンツセーフティのイメージカット

【ベンツが追求する安全性】1939年から始まった安全技術の進化の歴史を振り返ります。いまでは当たり前の装備もベンツからでした

メルセデス・ベンツがこだわり続けていることのひとつは、安全性です。これまで生み出してきた技術は独占せず、特許を公開して世界中の自動車メーカーへ広めています。いいクルマ=安全という理想を形にし続けている、同社の安全の歴史を振り返ります。
EQS SUVの生産ライン

【ベンツのクルマづくり哲学】時代とともに変わるスローガン、「最善か無か」の理念は2023年の今でも受け継がれているのか?

まさに自動車の歴史と言ってもいい、メルセデス・ベンツの車造り。その信念は時代とともに進化し、ユーザーにとって魅力的な1台となるよう開発されている。これまでどのような信念のもとに生み出されてきたのか、振り返ってみたい。
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