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メルセデス・ベンツという名前の由来となった愛娘「メルセデス・イエリネック」を知る

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: Shoichi Yatsu、メルセデス・ベンツミュージアム

エミール・イエリネックからみたダイムラー車

 メルセデスの父「エミール・イエリネック(1853-1918年)」は、19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて活躍したオーストリア生まれの実業家。自動車にも興味を持ち、1899年の初めから「ムッシュ・メルセデス」の名でコート・ダジュールのレースに参戦した実力の持ち主でした。彼は理想のクルマを手に入れたいとの情熱を込めて、居を構えていたウィーン近郊のバーデンやフランス・ニースの人々をはじめ、果てはドイツ・カンシュタットの当時のダイムラー・エンジン会社にまで、自動車の速さやエンジン出力、品質、軽量化などを説いて回ったのです。

 何故なら、彼はダイムラー車を駆る名ドライバーとして、大金融財閥のロスチャイルド男爵らと並ぶ存在。実業家の彼は、この趣味を仕事にも活かしたいと考えたのです。ダイムラー車の旧式なメカニズム(彼は現在の車と同じ基本構造とパワフルでハイスピードを要求)に加えて、その名前にもうんざりしており、1901年に登場した『モデル35PSダイムラー』という如何にもドイツ的なモデル名は、フランスで販売するには堅すぎると考えたのです。

 さすがは、セールスマンのパイオニアと云われるだけあって、ダイムラー・エンジン社に大量発注(まとめて36台)の条件として、自分が販売するクルマに”メルセデス”の名前を冠することを申し入れたのです。エミールがメルセデスと云う女性名を付けたかったのは、どこへ行っても自慢の種としていた愛娘のメルセデス(当時10歳)の名前だったからです。

 ダイムラー社の役員は、これ以降、自社の車をすべて「メルセデス」と呼ぶことにし、1902年に正式に商標登録(1901年には35PSダイムラーを改め、35PSメルセデスと改称。さらに1902年に40PSとなりメルセデス・シンプレックスの名称で親しまれた)。以後、ダイムラー・エンジン会社のメルセデスは、フランスだけでなく、ベルギー、ハンガリー、そしてアメリカでもめざましい売れ行きを示したのです(イエリネックはダイムラー社の役員にも選出され発展に貢献。1909年引退)。

娘のメルセデスからみた父エミールの存在

 父のエミール・イエリネックはアフリカ「ソラトピー」の帽子をかぶり、母国オーストリア製の自転車を乗り廻していました。オーストリアの貴族の生まれであり、北アフリカでの商売に成功し大富豪となり、フランス・ニースでオーストリア・ハンガリー帝国の領事も務めた存在。ニースといえば、裕福な人々から人気のリゾート地で、フランスの裕福な人々の間では、自動車レースが恰好の冒険として注目されていました。父エミール・イエリネックも冒険心が高じて自動車レースの虜となった一人だったのです。

 メルセデス(三女)が生まれてからというものは、事業もうまくいき愛着を覚え、どこへ行っても自慢し、愛情を注いだのです。それは「ムッシュ・メルセデス」の名前でレースの参加名簿に記入した事で証明すると同時に、「好きになってもらい、愛してもらうには、自動車は女性の名前であらねばならぬ」と常々語っていたと伝えられています。

 当時のクルマは発明者や設計者、あるいはメーカーの名前であるのが一般的。例えば、ダイムラー、ベンツ、パナール&ルヴァソール、プジョーなど、いずれも男性の名前でした。その点、父はきわめて先見の明があったと言えるでしょう。

 

“Mercedes-Benz”をどのように呼んでいますか

 ”メルセデス・ベンツ、メルツェデス・ベンツ、マーセデス・ベンツ”。じつは、昔の日本読みでは、マーセデス・ベンツ、もしくは単にベンツと呼んでいました。しかし、今の日本では”メルセデス・ベンツ”と呼ぶのが正式。同じ発音上の理由でアメリカ人がメルセデス・ベンツと発音すると、”メルセイデイーズ・ベンツ”と聞こえます。

 また、本国のドイツ語では”メルツェデス・ベンツ”と発音。このように由緒あるMercedes-Benzの車名の歴史を正しく理解していれば、単にメルセデスやベンツではなく、正式にメルセデス・ベンツと呼ぶ事になります。

●参考文献&写真=メルセデス・ベンツミュージアム
●写真&資料提供(ウィーン中央墓地)=Shoichi Yatsu(ウィーン在住)

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  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 1949年生まれで幼少の頃から車に興味を持ち、40年間に亘りヤナセで販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特にメルセデス・ベンツ輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版のカタログや販売教育資料等を制作。またメルセデス・ベンツの安全性を解説する独自の講演会も実施。趣味はクラシックカー、プラモデル、ドイツ語翻訳。現在は大阪日独協会会員。
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