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F1直系のカーボン車体に飛行機ばりのエアブレーキ! 億超えもあった伝説の「SLRマクラーレン」の衝撃

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: ダイムラー、マクラーレン

メルセデス・ベンツとマクラーレン

 マクラーレンについては、もはや説明の多くは要さないだろう。1963年に「ブルース・マクラーレン」によって設立されたイギリスのレーシングチーム。F1には1966年から参戦し続けている名門だ。特に1970年6月2日、グッドウッドサーキットで新車「M8D」をテストドライブしていたチームのボス、ブルース・マクラーレンがマシントラブルでクラシュし死亡したが、チームの運営はテディ・メイヤーに引き継がれ、F1、F2、インディ500、Can-Amなどに参戦し、目覚ましい活躍をした。ブルース・マクラーレンが乗っていた「M8D」

 1974年にマールボロと契約し、以後「マールボロ・カラー=マクラーレン」の関係は長期にわたり続いた。1981年には、ジョン・バーナードが設計したカーボンファイバー製モノコックを採用した初のF1マシン「MP4/1」を開発。ワトソンがイギリスGPで優勝するが、一方でこのカーボンファイバー製モノコックボディは、他のチームメイトがレースでクラシュを起こしてもドライバーは無傷で生還し、その安全性を証明した。カーボンファイバー製モノコックを採用した初のF1マシン「MP4/1」

 1994年、MP4/9に前年のフォード・コスワースからワークスのプジョーエンジンに乗せ換えて参戦するが、度々のエンジントラブルでリタイア。これに業を煮やしたマクラーレンチームは複数年契約だったプジョーとの契約をわずか1年で破棄することに決め、翌年の1995年にはイルモア(イギリスのF1用エンジンビルダー)が開発するメルセデスエンジンに変更する事をシーズン終了前に発表した。

 すでにメルセデス・ベンツは1990年代初めにはこのイルモアに資本参加し、インディカーやF1に復帰。1993年にイルモアエンジンを「Concept by Mercedes-Benz」としてこの年から同じF1へ参加したスポーツカーレースのパートナー、ザウバーに提供した。翌1994年から正式にF1への復帰を宣言し、ザウバーにメルセデス・ベンツのバッジを付けたエンジンを供給。そして先述のとおり、マクラーレンの意向を受けて1995年にザウバーからマクラーレンに供給先を変更した。F1では1995年からマクラーレンにエンジンを供給

 マクラーレンは1997年からスポンサーをマールボロからウエストに変更し、同社のタバコパッケージをもじってマシンのカラーをシルバーに変更。以後、メルセデスエンジンを搭載したマクラーレンがシルバーアローと呼ばれた。メルセデス・ベンツは2009年にはフォース・インディア(レーシングコンストラクター)、ブラウンGP(イギリスのレーシングチーム)にもエンジンを供給した。マクラーレンは1997年からスポンサーをマールボロからウエストに変更

 ダイムラーはマクラーレン・グループの株式を40%取得していたので、マクラーレンを完全回収してメルセデス・ベンツ単独でF1参加するのではと噂されたが、2009年11月16日にブラウンGPの株式をアブダビ政府系の投資会社アーバーインベストメントと共に75.1%をダイムラーが取得し2010年のF1からメルセデスGPで参戦するとした。

 同時に2011年までにマクラーレン・グループ株をすべてマクラーレン・グループに売却し、エンジン供給は2015年まで延長すると発表。しかし、マクラーレンは1年早い2014年をもって20年に亘るメルセデス・ベンツとの協力関係を終了した。

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