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名門いすゞの超異端児! 売れば売るほど赤字だった幻のSUV「ビークロス」とは

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

ポリプロピレン樹脂パネルで無骨さを主張

 とはいえビークロスで何といっても注目だったのは、今見ても「これが本当に量産の市販車なのか!?」と思わずにはいられないスタイリングだ。カタチそのものも、とにかく例を見ないものだったが、ボディ下半分を前後バンパー部を含め大胆に無塗装のポリプロピレン樹脂パネルとした構造も類を見ないものだった。

 この樹脂パネルはヘクサローブ(トルクスネジ)で止められているが、これは特殊な工具を使わなければスグには外れない(外されない)ようにしたため。また当時のSUVらしくスペアタイヤは背負う方式だったが、バックドアを開けて内側からマウントするようにしてあり、外側はドアと一体でデザインされたカバー状に。この後方視界を補うため、そのカバーのISUZUのロゴ直上中央にカラーのバックアイカメラが標準装備されたが、これはバス以外では初のことだった。いすゞ・ビークロスのカタログ 一方で合理的だったのが、灯体類の他車からの流用。いずれも当時の国産市販車からで、ヘッドライトはオートザム・キャロル(北米仕様は別の異形リフレクターだった)、フロントの楕円のウインカーはダイハツ・オプティ、ポジションランプはニッサン・パオ、そして丸型のサイドマーカーランプ(ターンシグナルランプ)はユーノス・ロードスターといった具合だ。よく見ればポジションランプのアウターレンズにNISSANの刻印があるのが発見できた、という。

ボディカラーは標準で5色が設定されていた

 インテリアでは55Lエアバッグ内蔵のMOMOのステアリングホイールや、専用の柄が用いられたレカロシートは当時の新型で日本初採用だった。インパネは基本的にミューの流用。いすゞ・ビークロスのカタログ ボディカラーは標準で5色が設定され、Cピラー部の車名ロゴが各ボディ色ごとに“色合わせ”がされているとうこだわりも。さらに1997年には“プレミアムカラープロデュース25”がオプション設定されたが、実情では塗装はほとんど手作業で行われていた……というのが、ハンドメイドの117クーペや大型トラックの個別注文を手がける、いかにもいすゞらしいところ。いすゞ・ビークロスのカタログ また1999年2月になると、“175 LIMITED EDITION”と銘打ち(175はビークロスの開発コード)、最終ロットの限定特別仕様車がリリース。このモデルは赤/黒の専用インテリア(レカロシートはレザー)や、外観ではステンレスのグリルガーニッシュとポリッシュ仕上げのアルミホイールなどが装着された。いすゞ・ビークロスのカタログ プレスにはせいぜい3000ショットが限界と言われた“セラミック型”を用い、セミハンドメイドで作られたビークロス。295万円の販売価格も、450万円くらいの設定でなければ本当はペイしなかった……とも。“早過ぎた○○”とはよく使われるフレーズだが、いすゞ・ビークロスはノストラダムスよりも超先見の明があったクルマだった。

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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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