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「トミカスカイラインシルエット」や「R382」がアクセル全開! 日産の名車が快音を響かせた「ニスモフェスティバル」

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了/日産/NISMO/Auto Messe Web編集部

“ハコ車”の傑作マシンも次々に登場

 NISMO Festivalで登場したのは、プロトタイプ・レーシングカーだけではありませんでした。市販乗用車をベースにした、いわゆる“ハコ車”も続々と傑作マシンがレストアされ、NISMO Festivalにその雄姿を見せました。

 その筆頭となったのは、2000年の第4回大会に登場したスカイラインRSターボ(KDR30)スーパーシルエット(グループ5)仕様。と言うよりも、“トミカ・スカイライン・シルエット”の愛称で呼んだ方が通りの良い傑作マシンでした。スカイラインRSターボ(KDR30)スーパーシルエット(グループ5)仕様  じつはこの年を限りに、日産ワークスのトップドライバーだった長谷見昌弘さんが引退することになり、その引退セレモニーのためにレストアされたのが“トミカ・スカイライン・シルエット”だったのです。スタンドからは鳴りやまない拍手と大きな歓声が送られ、走り終えた長谷見さんも感無量の様子でした。

 スカイラインと言えば、実戦投入が叶わなかった悲運のレースカーとして知られる2代目のスカイラインHT GT-Rも、NISMO Festivalで記憶に残る1台となりました。先代の“ハコスカ”に対して、こちらは“ケンメリ”の愛称で知られ、ベースシリーズは1972年の9月にフルモデルチェンジを受けて登場。その翌月に開催された、東京モーターショーで参考出品されたのがこのレース仕様でした。スカイラインHT GT-R 市販モデルのGT-Rは、この時点ではまだラインアップされておらず、翌73年1月に満を持して発売されたのですが、そのこともあってモーターショーでは大いに注目された1台。国光さんとの2ショットが描かれた下敷きは、レース小僧の宝物でした。スカイラインHT GT-Rプロモーショングッズ ただし、モーターショーが終了したあと、サーキットに持ち込まれて開発テストが進められたものの、残念ながら実戦出場を果たす前にプロジェクトが終了しています。そんな悲運のレーシングカーでしたが、記録ではなく記憶に残った1台だったことは、NISMO Festivalでの注目度の高さからも明らかでした。

 また2008年の第12回大会では1973年日本グランプリのサポートイベント、TS-a(1600㏄以下のツーリングカー)レースで勝ったサニー1400(2代目のKPB110型)がレストアされて姿を見せています。1.2LのA12エンジンに代え、1.4LのL14エンジンを搭載する荒業には疑問も残りましたが、1973年のレース仕様ではツインカム4バルブのLZ14に換装。弟分のサニー1200とともに、トヨタ軍団を圧倒したことが記憶に残っています。サニー1400

レースカーだけでなくラリーカーやロードゴーイングモデルも登場

 ここまで、NISMO Festivalで注目を浴びたレーシングマシンを紹介してきましたが、レストアされて注目を集めたのは、もちろんレーシングマシンだけではありません。かつて日産は『ラリーの日産』を標榜するほどラリーで好成績が目立っていました。当然、多くの日産車が世界のラリーフィールドで活躍していました。

 そんな日産のラリーカーも、1年をかけてレストアを進め、完成後にNISMO Festivalで紹介されるケースが少なくありませんでした。ここでは2006年の第10回大会で登場した、1983年のモンテカルロラリー参戦車を紹介しておきましょう。モデルは日産240RS。3代目シルビア(S110型)のハードトップ(実際には2ドア・ノッチバッククーペ)をベースに、直4ツインカム16バルブのFJ24エンジンを搭載した、世界選手権ラリーを戦うグループBカーのホモロゲーションモデルです。グループBラリーカー日産240RS ちなみに、スカイラインRSやRSターボに搭載されていたFJ20E/FJ20ETシリーズのバリエーションに位置づけられていますが、共通部品が少ない、ほぼ競技用に設計された別ものでした。スペックとしては1983年のモンテカルロ仕様のワークスマシンで、これがWRCデビューでした。

 競技車両ではなく、市販のロードゴーイングモデルのなかにも、レストアを施されたあとにNISMO Festivalで紹介されるケースがありました。2010年の第14回大会でお披露目された、1947年式のたま電気自動車はその好例でしょう。

 日産の社員有志による名車再生クラブがレストア作業を担当していました。そもそもは1966年に日産に吸収合併されたプリンス自動車工業の前身で、立川飛行機の流れをくむ東京電気自動車(1949年にはたま電気自動車に社名変更)が生産した電気自動車。日本機械学会の機械遺産にも登録されているレジェンドです。たま電気自動車

 このようにレーシングマシンからラリーカー、そして市販のロードゴーイングモデルまで、さまざまなジャンルの傑作車を蘇らせて走行させています。残念ながら、たま電気自動車は展示のみに終わっていました。そんな貴重な舞台となっているNISMO Festival。2年続きで開催見送りとなっていますが、来年こそは新型コロナウイルス感染も収束し、ぜひとも開催してほしいものです。そして、そのときにお披露目される傑作車が何になるかも気になるところです。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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