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初代デミオの開発者が語った裏テーマはなんと「素うどん」! マツダの危機を救った「小さな英雄」の知られざる姿

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

道具感への割り切りは潔いほど

 それにしても、いま思い返すと、つくづく「道具感あふれるシンプルさ」が、当時も今も日本車としては極めて貴重な存在だった。分類上はBセグメントの小型ハッチバックだったが、背を高くすることで室内空間を取り、反対にバックドアは低くバンパーレベルから開くようにしてあり、かさばる荷物や重たい荷物の載せ下ろしも楽にしていた。

 デビュー時の「GOLD CARトップ」で書いた試乗レポートを引っ張り出してみたら「なんといっても開口部は縦に845mmもあり、わが家にあるマッキントッシュ・パフォーマ575の梱包(高さが610mmもある)であっても楽に載せられ、かつインナーミラーが使い物になる」といったレポートを筆者は寄せている。

 その一方で、割り切りも大胆だった。たとえばバックドアは、今なら手をかけてロックを外す方式のドアハンドルがあるのは当たり前だが、当初のデミオは、外からバックドアを開けるにはキーシリンダーにキーを差し込んでロックを開ける必要があった。直後にキーシリンダー部分をボタン式にし、キーを使わなくても指で押せばロック解除ができるように改良されている。

荷物の積み下ろしもしやすい設計だった

時代を越える実用車の名作だった

 ところでデミオはマツダ自身は「マルチパーパスコンパクト」と呼び、ワゴンやミニバンなどの既成概念にはとらわれないクルマだとしていた。そのことは26年経った現在のほうがむしろ、聞かされて納得がいく。飾り気のないシンプルなスタイルは、いまでも通用すると思うし、(当時は思い至ることができなかった。デミオを担当され、少し前までデザイン本部長の職にあったM・Iさん、ごめんなさい)デザイン耐久性が高かったことは時間が証明した。

 だとすると、まさに和製「ルノー4(キャトル)」が初代デミオなのだった……という思いが、(当時も薄々思ってはいたが)いまになってヒシヒシと込み上げてきた。

ルノー4(キャトル)

 翻って現行マツダ車のラインアップでいうと、コンパクト系では2ボックスの「マツダ2」やSUV風味の「CX−3」があるにはあるものの、初代デミオのような機知にあふれた純道具系モデルは姿を消して久しい。だが、軽自動車でスーパーハイト/ハイト系ワゴンがもてはやされているくらいだから、ことによるともう一度復活させたら、イケてるクルマになるのではないだろうか? パワートレインはどうであれ、ユニバーサルデザインの観点からも、コンパクトで運転しやすく便利な「素うどん」のようなクルマはいつの時代も必要なはずだ。

もっと道具感に振ったマツダ車にも期待したい

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  • 初代デミオは1996年から2002年まで生産された
  • リヤシートの居住性も上手く確保されていた
  • 荷物の積み下ろしもしやすい設計だった
  • もっと道具感に振ったマツダ車にも期待したい
  • フォード・フェスティバ・ミニワゴンはフロントグリルやボディ色だけ差別化
  • ルノー4(キャトル)
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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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