ホンダ・コニリオって何もの? 激レアな「エスハチ」ベースのレーシングマシンの全容 (1/2ページ)

ホンダ・コニリオって何もの? 激レアな「エスハチ」ベースのレーシングマシンの全容

ふたりの思惑が合致して登場したマシン

 SUPER GTレースにおいて、メーカーが販売する市販レーシングカーを買ってきて、いわゆる“吊るし”の状態でレースを戦うFIA-GT3カテゴリーのマシンを相手に戦っているGT300/GT300MC車両は、自らが造り上げて戦うことができるカテゴリーとして注目を集めています。

 1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリで本格的に始まった国内の近代モータースポーツですが、黎明期には市販のレーシングカーなどあるはずもなく、すべてのレーシングカーはまだまだプライベートが手作りするのが主流となっていました。今回はホンダ・スポーツ800、愛称“エスハチ”をベースに製作されたレーシングカー、コニリオを振り返ります。

皆が集まってコンストラクターとなり手作りで始めたレーシングカー製作

 手作りマシンの草分けとなったのは、のちに国内屈指のコンストラクターとなる童夢を設立した、林みのるさんが中心になって製作した“カラス”と呼ばれるレーシングカーでした。軽量化と空気抵抗の低減がおもなテーマでしたが、大いに効果もあったようで、1965年の5月に鈴鹿サーキットで行われた第2回クラブマンレースにて浮谷東次郎さんのドライブで見事な優勝を飾っています。

 “カラス”の活躍に触発されたかのように、これ以降は手作りのレーシングカーが続々と登場。ホンダの創業者である本田宗一郎さんの長男、本田博俊さんが手作りしたホンダ・カムイは、ボディカウルだけでなくシャシー(鋼管スペースフレーム)から自作したまったくのオリジナルでした。矢吹圭造さんのドライブで鈴鹿のレースで活躍しています。

【関連記事】トヨタ「マークII」はいかにして「ハイソカー」となったのか? 「コロナから生まれた理想のコロナ」だった初代から振り返ろう

ホンダ・カラス画像はこちら

 “カラス”やホンダ・カムイは完全なワンオフでしたが、やがて1970年代に入るとレーシング・スポーツやフォーミュラのレースも盛んになり、市販レーシングカーも続々登場してきました。レーシングカー・コンストラクターも数多く誕生し、国内レース界は最初の黄金時代を迎えることになります。そんな市販レーシングカーの先駆けとなったのが、レーシング・クォータリー(RQ)が製作したコニリオ。ちなみにコニリオ(Coniglio)はイタリア語で野兎のことです。

 “カラス”はエスロクのボディを改造したもので、一方ホンダ・カムイはフレームからオリジナルで製作していましたが、コニリオはエスハチのシャシー(ラダーフレームに前後サスペンションを組み込みエンジンを搭載した状態)に架装するボディ・キットでした。オープン2シーターのレース仕様だけでなく、2シーター・2ドアクーペのコニリオ・ビアンコというロードゴーイング仕様もラインアップされていました。ホンダ・コニリオ・ビアンコ画像はこちら

 デザインを手掛けられたのは工業デザイナーとして活躍された濱 素紀(はま・もとき)さん。ふとしたことで知り合ったRQの山梨信輔さんとは、高校の先輩後輩の間柄ということがわかって話も大いに盛り上がったそうです。そうしていくうち、いつかはエスハチのシャシーでカスタムカーを創りたいと思っていた濱さんと、自分たちでレーシングカーを創ってレースに出たいと思っていた山梨さん、ふたりの思惑が合致、プロジェクトが始まりました。