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異形デザインは70年間賛否両論! それでも溺愛される「みにくいアヒルの子」シトロエン2CV

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/STELLANTIS

パリサロンで当惑のなか登場した2CV

 シトロエンのニューモデル、TPVあらため2CVは終戦から3年経った、1948年の秋に開催されたパリサロンでお披露目されました。世界各国からジャーナリストを集め、時のフランス大統領、ジュール-ヴァンサン・オリオール閣下がアンベールすると、ベールの下から「みにくいアヒルの子」が登場。会場は一瞬白けてしまい、オリオール閣下も当惑の表情を浮かべた、と伝えられています。「みにくいアヒルの子」だったかは意見の分かれるところですが、当時のクルマたちとは異色の風貌だったことは否定できません。

1948年のパリサロンでデビューした2CV

 しかし、375ccの空冷フラットツインの最高出力は9psにしかすぎませんでしたが、70km/hの最高速を可能にしていました。価格を抑えるためにボディはスチール製に置き換えられていましたが、キャンバストップを採用し、スチールパネルも波板形状で強度を確保して薄いパネルを使用するなど工夫が施されました。全長と全幅、全高がそれぞれ3780mm×1480mm×1600mmと、決して小さくはないサイズにもかかわらず車両重量は495kgに抑えているのには驚かされます。

キャンバストップを採用し車重は500kg以下に抑えられていた

 ちなみに、コストを低減する一方で、エンジンはヘッドからクランクケースまですべてが軽合金製であり、プッシュロッドを使ったOHVながらロッカーアームを介してバルブがV字型に配置され燃焼室を半球型とするなど、必要に応じては贅を凝らす設計となっていました。要はメリハリを利かせたということでしょう。

1954年式2CVのエンジン

 サスペンションシステムもユニークでした。基本スタイルはフロントがリーディングアームで、リヤはトレーリングアームで、前後ともに太い1本のアームをコイルスプリングで吊る独立懸架でした。そして、左右それぞれの前後輪がサイドのドアシル下にマウントされた筒の中にあるスプリングによって繋がれた、前後関連懸架となっていました。そしてこれによりスプリングをよりソフトに設定でき、特有の「ネコ足」が誕生したのです。

1964年式2CVのシャシーを見ると前後輪がスプリングで繋がっていることが分かる

やがて戦後のフランスを象徴する1台に

 最初にデビューしたモデルから最終モデルとなったチャールストンが1990年に生産を終了するまで、40年を超えるモデルライフのなかで、総生産台数は海外生産分も含めて385万5649台と、シトロエン全モデルのなかでもトップの記録を残しています。そして最初の1台から最後の1台まで、基本的なシルエットとメカニズムは不変でした。

ダークレッドとブラックのツートーンをまとった「チャールストン」

「みにくいアヒルの子」は結局、最後まで「みにくいアヒルの子」だったということですが、このフレーズは決して2CVをこき下ろす意味で使われることはありませんでした。少しユーモアを交えながらたっぷりの愛情を注ぐために使われたフレーズでした。

 そう言えば、映画『007 ユア・アイズ・オンリー』では本来のボンドカーだったロータス・エスプリは早々に爆破されたのに、2CVはロジャー・ムーア扮するジェームズ・ボンドが美女を助手席に乗せ、追手のプジョー504とカーチェイスを演じたこともありました。それも皆に愛された2CVならばこそ。出会いは一度きり、短い試乗でしたが「ネコ足」の感覚は今も忘れられません。

1981年の映画「007 ユア・アイズ・オンリー」出演を記念したモデルも販売された

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  • イタリア人の社内デザイナー、フラミニオ・ベルトーニによるスケッチの一部
  • 1939年に少数ながら生産された「TPV」
  • キャンバストップを採用し車重は500kg以下に抑えられていた
  • 1948年のパリサロンでデビューした2CV
  • 1954年式2CVのエンジン
  • 1964年式2CVのシャシーを見ると前後輪がスプリングで繋がっていることが分かる
  • 1981年の映画「007 ユア・アイズ・オンリー」出演を記念したモデルも販売された
  • ダークレッドとブラックのツートーンをまとった「チャールストン」
  • 1934年にデビューしたトラクシオン・アバン
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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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