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売れなかったが日本の自動車市場にデザイン革命を巻き起こした! スカイラインスポーツの功績とは

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TEXT: 山崎真一(YAMAZAKI Shinichi)  PHOTO: 日産自動車/Auto Messe Web編集部

1960年に日本車として初めて海外でワールドプレミアを実施!

 ベースとなったのはスカイラインではなく、より大きな排気量を搭載したグロリアで、1960年にまず2台分のシャシーをイタリアに送りプロトタイプを製作。そして、同年11月の第42回トリノショーでワールドプレミアを果たしている。この海外でのお披露目は日本車としては初の試みであった。

 デザインは「チャイニーズ・アイ」と呼ばれる斜めにツリ上がったややアクの強い丸目4灯のヘッドライトが特徴。ホイールベースはグロリア/スカイラインと同じだが、前後のホイールベースが延長された伸びやかでクリーンなスタイリングは、ドアの後ろでキックアップすることで躍動感も演出している。そのほか、キャビンに配されたピラーは細身で繊細に見せるなど、当時の日本車にはなかった斬新なデザインは1961年の第8回東京モーターショーでも話題となった。1961年の東京モーターショーに出展されたプリンス・スカイラインスポーツ

ボディはすべてハンドメイドながら豪華な装備と高性能で人々を魅了

 発売は1962年で、プロトタイプと同じくクーペとコンバーチブルの2タイプをラインアップしたプリンス・スカイラインスポーツ。ボディの製造はすべてハンドメイドで、職人をイタリアからプリンスの工場に招き、指導を受けながらの作業であった。発表から1年以上遅れての発売となったのは、生産体制を整えるために入念な準備が必要だったからだ。そのため販売価格はクーペが185万円、コンバーチブルが195万円と、プリンスのトップブランドであるグロリアの上級車が110万円台であったことを考えると、いかに高額だったが分かるだろう。プリンス・スカイラインスポーツのリヤスタイル

 エンジンはグロリア用の1.9Lを搭載し最高出力94㎰を誇った。これは当時の国産車としては最強で、1.4tに迫る車重ながら4速コラムMTを駆使すれば150km/hを記録するなど、GTカーとしては十分な性能を兼ね備えていた。内装もほとんどが専用品で、シートには本革を採用するなどラグジュアリースポーツに相応しい豪華絢爛なものであった。また、その高いパフォーマンスからモータースポーツに参戦しているが、目立った記録は残せていない。

日本のデザイン史の転機となったエポックメイキングなクルマ

 最終的にはコスト高であったことや、ベースのグロリアが1962年10月にフルモデルチェンジしたこともあり、約60台(クーペは35台、コンバーチブルは25台)を販売しただけで生産終了。北米への輸出も検討されていたらしいが、その望みは叶うことはなかった。プリンス・スカイラインスポーツ

 後継モデルも生産されることもなく、1代限りとなったスカイラインスポーツだが、カロッツェリアの技術を習得できたことはデザイン、ボディメイクに生かされたこともさることながら、デザインという点で国産他メーカーに強く影響を与えている。その証拠にスカイラインスポーツの登場以降、各メーカーがこぞってイタリアのカロッツェリアにデザインを依頼し、学んだことでモノマネではない独自のカーデザインが開花していくきっかけとなった。

 商売的には失敗であったが、マイカーがまだ夢だった時代にパーソナル性の強いデザインを提案したスカイラインスポーツは、日本の自動車史におけるエポックメイキングな1台であったことはまぎれもない事実である。

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  • プリンス・スカイライン1500デラックス
  • プリンス・スカイラインスポーツのフロントスタイル
  • プリンス・スカイラインスポーツのリヤスタイル
  • 1961年の東京モーターショーに出展されたプリンス・スカイラインスポーツ
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