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日本で「型式呼び」は名車の証! 「マルニターボ」の名前で愛されたBMWとは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/BMW

ノイエクラッセから発展を続けて誕生した“マルニターボ”

 発売開始と同時に大ヒットとなったBMW1500は、1963年にBMW1700が追加され、1964年には1500が1600に発展、1966年には2000も登場しています。さらにツインキャブ仕様の1800TI/2000TIやクーゲルフィッシャー製の機械器式燃料噴射を採用した2000tiiがデビューし、ヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)などでの活躍も目立つようになりました。BMW2002Ti

 一方、ボディの方もバラエティに富んだ車形展開が行われ、1966年には1600の2ドアバージョンである1600-2が登場しています。これは1600をベースにホイールベースを50mm短縮して2500mmとし、ボディサイズも1600の4500mm×1710mm×1450mmから4230mm×1590mm×1410mmへとコンパクト化され、車両重量も1060kgから940kgまでシェイプアップされていました。

 さらには2ドアモデルをベースに、カブリオレやリヤをハッチバックしたツーリングなどのバリエーションも派生しています。ベースとなった2ドアモデルの1600-2は、その後1602と名を変え、1968年には2002と2002tiが、1971年にはインジェクションを採用した2002tiiが登場。BMW2002ツーリング

 そして1973年には2002ターボが出現しています。ポルシェがCan-Amレースの実戦でターボ技術を磨いていたことはよく知られていますが、BMWも同様にETCでターボを開発熟成させてきました。2002tikと呼ばれるグループ5仕様のレースカーは、1969年のETCに登場すると、いきなり4勝を挙げてチャンピオンを獲得しています。そして1972年にはミッドシップのプロトタイプ、BMWターボを発表していますが、そのエンジンを搭載した市販モデルが2002ターボでした。BMW2002ターボ

 普段以上に前置きが長くなりましたが、それではいよいよ“マルニターボ”の解説に移るとしましょう。プロトタイプのBMWターボと同様に“マルニターボ”のターボチャージャーはKKK製のユニットを採用していました。BMW2002ターボ

 耐久性を考えて圧縮比は6.9と低めに設定されていましたが最高出力は、それまでもっともハイパフォーマンスだった2002tiiの130HPに比べて3割以上もパワーアップし、170HPを捻り出していました。ちなみに、1973年のフランクフルトショーで発表された“マルニターボ”は、同じくフランクフルトで発表されたポルシェの930ターボよりも発売が早く、世界初のターボチャージャーを搭載した市販車とされています。ですが、1962年にアメリカではGMのオールズモビルF85とコルベアに、工場オプションとしてターボチャージャーが登場しています。シボレーコルベア

 ですから厳密には欧州車で初のターボチャージャー装着モデルとすべきかもしれません。それはともかく、“マルニターボ”の注目すべきポイントはエンジンだけではありません。むしろその攻撃的なルックスの方が印象的だというべきかもしれません。BMW2002ターボ

 サスペンションを強化するとともに当時としてはワイドな185/70R13サイズのタイヤをカバーするために、ファットなオーバーフェンダーをリベット止め(国内では法規の関係からかパテ埋めされていましたが)、リヤにはトランクスポイラーを装着していました。BMW2002ターボ

 また鉄製のフロントバンパーを取り去ってチンスポイラーと一体化した樹脂バンパーカウルを装着。そこに鏡文字でturbo2002とステッカーを張り付け、攻撃的なルックスに変身していました。石油ショックで世の中が狂乱状態となる社会背景が禍して、1973年から1975年までの短期間でモデルライフを終えることになりましたが、その衝撃度はMAXでした。BMW2002ターボ

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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