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「最高級」に世界の誰も異論ナシ! 「ロールス・ロイス」はいかにして王様になったのか

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: ROLLS-ROYCE MOTOR CARS

目指したのは世界でもっとも優れた英国製のクルマ

 こうして1904年の5月にロイスと契約を結んだロールスは、2気筒モデルの生産化と、新たに3気筒と4気筒、6気筒モデルの試作を依頼。ロイスはこれに直ちに答えて4種のモデルを設計し、同年のうちには販売にまでこぎつけています。また同年のパリ・サロンに2気筒「10HP」と4気筒「20HP」の2台を出展したところ、予想外(本人たちの期待通り?)の反響を巻き起こしました。

4気筒エンジンの「20HP」

 舞台がパリということもありましたが、それまで英国車というのは二流の烙印を押されていました。悪名高い赤旗法(正式にはThe Locomotive Act 1865。日本でいうところの道路交通法)によって、英国ではクルマの進化が封じられていて、当時、最高のクルマはフランス車、というのが定説になっていました。しかし、ロイスの2気筒10HPと4気筒20HPが、これを覆すことになったのです。それは同サロンで金賞を受賞したことと、その場で27台の注文が集まったことからも明らかでした。

 これに続いて同年のロンドンのモーターショーにも初出展され、パリ・サロンと同様に好評を博すことになりました。そして社交的だったロールスの活動やレースでの活躍もあって、イギリスの上流階級層にロイスのクルマは短期間のうちに浸透していったのです。1906年にはロールスとロイス、それぞれの会社が合併し(工販合併)、自動車メーカーとしての「ロールス・ロイス社」が誕生しています。

1906年のマン島レースを走る20HP

誠実かつ完璧な作業にこだわった結果が「最高級」の称号

 高級車の代名詞となったロールス・ロイスですが、その要因はいったい何なんでしょう? クルマを評価する評価軸では、静粛性や低振動性、あるいは信頼性が喧伝されてきました。コマーシャルでは「時計の音以外は何も聞こえない」とかいうキャッチコピーが語られていましたし、エンジンを始動したロールス・ロイスのボンネットに立てたコインが倒れることがない映像も話題になりました。

1905年の「ロールス・ロイス」カタログ

 残念ながらロールス・ロイスのオーナーになった経験がないために、実体験の話はできませんが、信頼性に関しては、旅先でトラブルが起きたユーザーが修理を依頼したところ、夜のうちに完璧に修理されていて、旅先から自宅に戻ったユーザーが代金を支払おうと連絡したところ「ロールス・ロイスが壊れるはずはないし、そんな修理をした記録も残っていません」と告げられた、という逸話も数多く聞かれています。これは「The Best Car in the World」を謳うロールス・ロイスの矜持を示しているものです。

1966年式ファントムVI

 ただし、おそらくはロイスもロールスも、高級車を造ろうとか、高級車を売ろう、とか考えたことはないはずです。ともに目指したのは高級車ではなく世界でもっとも優れた英国車で、製作に当たっては誠実かつ完璧な作業が進められていたようです。誠実で実直なメカニックというべき技術者だったロイスは常々、「どんなに謙虚であっても、正しくなされることは何でも高貴である」と語っていたそうですが、その哲学が具現化したクルマだからこそロールス・ロイスは高級車たり得るのではないでしょうか。

2021年式の最新ファントム

12
  • フレデリック・ヘンリー・ロイス(1863~1933年)
  • チャールズ・スチュワート・ロールス(1877~1910年)
  • ロイスが買ったフランスのデコヴィル
  • 1904年に完成した「10HP」
  • ロールス・ロイス10HP
  • 4気筒エンジンの「20HP」
  • 1905年の「ロールス・ロイス」カタログ
  • 1906年のマン島レースを走る20HP
  • 1966年式ファントムVI
  • 2021年式の最新ファントム
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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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