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日産初の超スタイリッシュなクーペは値段が高すぎた! 総生産台数わずか554台に終わった初代シルビアとは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/自工会

ブルーバードやフェアレディと3兄弟に

 初代シルビアはS310系フェアレディのシャシーを転用したもの。基本的には310型ブルーバードのそれをベースにしたラダー形状のフレームでしたが、前後サスペンションの取り付け部分にX字型に補強メンバーを追加したもので、剛性が一層引き上げられていました。ダットサンブルーバード

 サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーンをコイルで吊った独立懸架で、リヤはリーフスプリングでアクスルを吊ったリジッド式を採用。搭載されていたエンジンは、1964年のモーターショー時点ではフェアレディ1500から転用したG型エンジン(1488ccの直4プッシュロッドで、最高出力は71ps)でした。

 市販モデルが登場した1965年には、フェアレディも1600ccにコンバートされることが決まっていたために、4月に登場した初代シルビアは、フェアレディよりも1カ月早くR型エンジン(1595ccの直4プッシュロッド。最高出力は90ps)を搭載してデビューを果たしていました。ちなみに、このR型エンジンは2代目の410型に生まれ変わっていたブルーバードのホットモデルでサファリ・ラリーなどでも大活躍する、1600SSSにも搭載されています。日産ブルーバード

  つまりダットサン・フェアレディ1600(SP311型)と日産シルビア(CSP310)、そしてダットサン・ブルーバード1600SSS(R411)の3車は共通のエンジンを搭載していました。さらにR411型のひと世代前、初代のダットサン・ブルーバードとフェアレディ&シルビアは、シャシー(のベースデザインを)を共有しており、3車の関係は深いのです。ダットサン・フェアレディ1600

 ただしブルーバードは、初代の310型から2代目の410型に移行する際に、より軽量なモノコックフレームにコンバートされていました。その関係性は幾分薄められていましたが、サスペンションは、フロントがコイルで吊ったダブルウィッシュボーン式独立懸架、リヤはリーフでアクスルを吊ったリジッド式を採用。

 またブレーキもフロントに日産車として初めてディスクブレーキが装着されたのも、この3車の共通項でした。もう少し正確に言うと1965年の4月に登場した初代シルビアが日産初の装着となり、1965年5月に登場したフェアレディ1600と1966年4月のブルーバード・シリーズがマイナーチェンジを受けた際に追加設定されたブルーバード1600SSSは、厳密には日産で最初、とは言えませんね。いずれこの3兄弟がほかの日産車に先駆けてディスクブレーキを採用したことには間違いありません。日産シルビア

 初代シルビアに話を戻すと、サイズ的には全長×全幅×全高が3985mm×1510mm×1275mmでホイールベースは2280mmでした。車両重量は980kgでエンジンとシャシーがほぼ共通のフェアレディ1600(SP311型で車重は920kg)や、エンジンが共通のブルーバード1600SSS(2代目のDR411型で車重は930kg)と比べて少し重くなっていたのですが、最高速は165km/hでフェアレディと同じです。日産シルビア

 豪華なグランツーリスモで、フェアレディほどにはタフでハードでもストイックでもなく、またルックスも素晴らしいし、充分なパフォーマンスを備えていた初代シルビアは、発売と同時に飛ぶように売れる……はずでした。日産シルビア

 現実的には554台が生産されただけで3年余りの短いモデルライフを終えてしまいました。販売が伸び悩んだ最大の理由はやはり価格設定。ブルーバードの1600SSSが72万円、フェアレディ1600でも93万円だったところがこの初代シルビアは桁違いの120万円。当時の社会背景を考えると、やはり飛ぶように売れるはずはなかった。もっともハンドメイドに近かったから、そんなに売れても困ったかもしれないのですが……。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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