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今ならマツダ「737C/787B」を誰でも見学可能! ヌマジ交通ミュージアムで高橋 徹選手のスポット展示も開催

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

広島出身のドライバー高橋 徹選手にもスポットを当てたコーナーも

 この企画展に合わせて行われているスポット展示では、広島県東広島市出身のドライバー、高橋 徹選手を特集していました。18歳の時に西日本サーキット(山口県美祢市にあったサーキット。現在はマツダの美祢自動車試験場)でレースデビュー。

 翌年は鈴鹿でひとり暮らしをしながら、新人のためのレースシリーズである鈴鹿シルバーカップのFL550クラスに参戦。9戦中3戦で優勝してチャンピオンに輝くと、翌年は鈴鹿フルコースで争われるFL550チャンピオンレース・シリーズに参戦しています。

 ベテランの猛者がひしめき合うなか、6戦中2戦で優勝してシリーズ3位に。翌1982年はF3にステップアップし、9戦中2戦で優勝しシリーズ2位という結果に。そして1983年には国内最高峰のレースシリーズ、現在のスーパーフォーミュラ(SF)に相当する全日本F2選手権と富士グランチャンピオン(GC)への挑戦が決定したのです。高橋徹選手の特別展示

 国内トップチームのひとつ、ヒーローズレーシングに所属し、当初はエースを務める星野一義選手のナンバー2として多くを学び取る計画でしたが、星野選手がヒーローズから離れて自らのチームを立ち上げることになったため、高橋選手は急遽エースに昇格してシーズンを迎えます。

 こうして迎えたデビュー戦=全日本F2選手権のシーズン開幕戦で高橋選手は中嶋 悟選手、松本恵二選手、星野選手のベテラン勢に続いて予選4番手を奪い、レース中盤に3位に進出するとファイナルラップでトラブルに見舞われた星野をかわしてそのままチェッカー。中嶋選手に次ぐ2位の表彰台をゲットしています。

 そして同じ鈴鹿サーキットで行われたシリーズ第5戦では見事ポールポジションを手に入れています。近年ではホンダやトヨタの育成ドライバーがF3やスーパーフォーミュラライツ(SFL)からSFにステップアップし、早い段階で速さを見せるようになるケースも少なくありませんが、デビュー戦で2位表彰台、5戦目でポールポジションというのはあまり例がありません。

22歳にしてF2デビューを果たした高橋選手

 とくに高橋選手がF2デビューを果たした当時は、星野選手と中嶋選手、ふたりの最速最強ドライバーが君臨。ほかにもベテランの猛者が多くいたので、ルーキーがそのなかに分け入って戦うこと自体が困難な状況でしたから、デビューから5年目、22歳にしてF2デビューを果たした高橋選手の戦績は、驚くべきものでした。

 そんな驚異のデビューを果たした高橋選手にはマツダも注目していたようです。同年齢で、同時期にF3を戦っていた鈴木亜久里さんは「トオルは絶対にF1に行くと思っていた」とコメントしていましたが、F1よりももっと具体的な話として「マツダのル・マン計画のドライバー候補に名が挙がっていた」と先輩ジャーナリストに聞いたことがありました。

 デビュー戦から取材してきたことから、高橋選手とは個人的な交際もあったので、この先輩ジャーナリストの話はわがことのように嬉しかったと記憶しています。しかし、彼の夢も、多くのファンの想いも、残念ながら実現することはありませんでした。F2最終戦の鈴鹿グランプリを前に行われた富士GC最終戦で、高橋選手はアクシデントに遭遇し、23歳になったばかりの若さで逝ってしまったのです。

 今回のスポット展示では、そんな彼がデビューシーズンにドライブしたマーチ832・BMWや、彼が普段の足に使っていたマツダ・ファミリアなどが展示されています。また多くの写真や深く掘り下げられた資料もパネルで展示されていて、瞬く間にF2に駆け上がっていった高橋 徹選手を理解するにはベストな展示となっています。高橋 徹選手を知っている人もそうでない人も、モータースポーツファンの人もそうでない人も、この若者を知ってほしい、と改めて思いました。企画展とスポット展示は2022年9月4日(日)まで開催の予定です。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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