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手作りミニF1「ハヤシ706」は「モノづくり日本」が熱かった1970年代の象徴だった! 戦績と開発経緯を振り返る

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 鉄谷康博/原田 了

勢力を増してきたスズキ製の水冷エンジンにも対処

 ハヤシ706Aを語るうえで、忘れてはならないことがあります。それは搭載するエンジンが、それまで圧倒的多数派を占めていたホンダN360/Z360用の空冷4サイクル2気筒のN360Eから、スズキ・フロンテ用の水冷2ストローク3気筒のLC10Wに移行していったこと。

 空冷のN360E用にはクーリングダクトを設ける必要があり、一方水冷のLC10W用にはラジエターをマウントする必要があったものの、クーリングダクトは必要なくなりました。むしろ、空気抵抗を考えるならダクトを設けない方が、より好結果が期待できます。

 そこで最初に登場した706Aは、ノーズにダクトのないスリークなボディカウルが特徴。ホンダ用にはコクピット後方にダクトを設けて、取り入れた空気を冷却気としてエンジンへと送り込んでいましたが、やがて専用のカウルが製作されています。

 これはコクピットの前部ボディ上面にエアダクト(空気取り入れ口)を設けて取り入れた冷却気を、コクピット左右のベント(通風孔)を通してエンジンへと導くもの。オリジナルではコクピット後方に設けられたダクトから取り入れていましたが、こうすることでより効率的に冷却気を取り込むことができるようになったのです。またスポーツカーノーズも用意されていました。

 一方、水冷のLC10W用はより空気抵抗の小さなオリジナルカウルでヒップマウントのラジエターを装着していました。ちなみに、こうして空冷のN360E用と水冷のLC10W用がそれぞれ特化した結果、前者を706H、後者を706Sと呼んでいます。

 ただしシャシーとしては706Aで共通しており、シャシーナンバーも2種類を通して振られていました。702Aからの変更点としてはホイールベースが1900mmから2050mmに延長されたことが大きく、またサスペンションのジオメトリーも見直されていて、これらの結果としてハンドリングが随分コントローラブルとなっていたようです。

 デビューレースで優勝し、同年の鈴鹿FL500チャンピオンレースでシリーズチャンピオンを獲得。販売台数的にも、ハヤシカーショップ/ハヤシレーシングのFL500として36台という最多生産記録を持っている706Aですが、同じ1972年には有力コンストラクターやバックヤードビルダー的なワンオフモデルも含めて、20種を超えるニューモデルがリリースされていました。

 そうしたなかで36台も販売されたこと自体は驚異的ですが、モノコックフレームを採用したライバルが数多くあり、鋼管スペースフレームのハヤシ706Aが、商品性の観点からライバルに後れを取っていたのはある意味事実。それが“モノづくり”に懸けてきたハヤシカーショップ/ハヤシレーシングの御大、林 将一さんには納得できなかったのでしょうか、後継モデルではとうとうモノコックフレームを採用しカウルワークにも力が入っていました。

 そんな後継モデル、ハヤシ709は1974年に登場しています。アルミパネルによるツインチューブ式モノコックに、ハヤシの伝統となったスリークなフロントノーズを持ったメインカウル。そしてリヤカウルはエンジンカバーとリヤウイングを一体で成形し、ロールバーをヒンジに跳ね上げるタイプで、商品性は格段にアップしていました。

 リヤカウルは、リヤウイングを一体式としたことで、エンジンカバーのみのリヤカウルに比べると重くなってしまいましたが、スウィングタイプとしたことで整備性にも好結果をもたらしていました。しかし販売台数は706Aには一歩及ばず30台に留まっています。ライバルの数にも影響されるので、販売台数がすべてではありませんが、706Aが優れていたことの証のひとつです。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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