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20年以上日本に棲息したランチア「デルタS4」が2億7000万円! ワークスの姿を今に伝える奇跡の個体でした

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: Courtesy of RM Sotheby's

ワークスマシンの姿を今に伝える1台

 2022年11月上旬、RMサザビーズ社が開催した「LONDON」オークションでは「狂乱のグループB」として語られる伝説の時代、1980年代中盤のFIA世界ラリー選手権(WRC)において、英雄的なドライバーたちとともに苛烈な覇権争いを展開したワークスマシン3台が出品され、世界的な話題を提供した。

 今回はグループB時代を駆け抜けたマシンたちの中でも、ある意味ラスボス的なモデル。「SE038」の異名でも知られる、ランチア「デルタS4」を紹介しよう。

グループB時代の終わりをもたらしたラスボス的なマシン

 ランチア初のグループBマシン「037ラリー」は、市販ミッドシップスポーツである「ベータ・モンテカルロ」の一部をベースとして開発され、グループB規約初年度である1983年シーズンの世界選手権を獲得してみせた。

 とはいえ、037のデビュー直後から明らかになったのは、アウディの「クワトロ」プログラムが、後輪駆動ラリーカーに容赦のない「死の鐘」を鳴らしたことだった。ランチアがWRCというゲームのトップにとどまるには、既に1982〜83年の冬には製図台に上っていた「SE038」プロジェクトを正式にスタートする必要があったのだ。

 いっぽうチェーザレ・フィオリオ総監督、セルジオ・リモーネ技師、そしてテストドライバー兼チームマネージャーのジョルジオ・ピアンタら「ランチア・スクアドラ・コルセ」首脳陣は、ラリー界の頂点を極めるための膨大な経験を持っていた。

 037ラリーと同様、旧アバルト技術陣が主導したSE038プロジェクトは、037とは大きく異なっていた。まずは、ラリー競技の現場でもより簡単に修理できるという考えのもと、シャシーは鋼管スペースフレーム構造とされた。またミッドシップに搭載されるエンジンは、グループBの重量規定にしたがって最小重量を減らすために排気量を1759ccに削減した、まったく新しいものだった。

 ランチア+アバルトは、実は037でもターボチャージャーをテストしていたが、ターボラグを大きな問題と見なしていた。この問題を解決するために、技術陣はスーパーチャージャーとターボチャージャーを併用するというアイデアを発案。スーパーチャージャーが低回転域のターボラグを低くし、ターボチャージャーが高回転域を引き継ぐようにした。それは40年前としては独創的なコンセプトであり、排気量の縮小にもかかわらず、出力は380psといわれた037ラリーを大幅に上回る480psに増強されたといわれている。

 また037ラリーと同じく、SE038は重量を最小限に抑えるためにボディ全体にケブラーコンポジットを使用。さらにボクシーなデザインながら、可能な限り多くのダウンフォースを発生させるように最適化されていた。スタイリングは美しいとはお世辞にも言い難い武骨なものではあるが、ランチアの量産モデル販売促進のため、同時代の初代デルタとの関連性を想起させるものとした。

 最終的にSE038は「デルタS4」へと改名され、過給されていることと4輪駆動機構を与えたデルタであるとイメージさせることにした。ミッドシップ+4輪駆動システムの採用は、ランチアがライバルに追いつくだけでなく、さらなるアドバンテージを目指していた姿勢が見てとれる最大の要素であろう。

 かくして、1985年の英「ロンバードRACラリー」にてWRCデビューし、初戦を勝利で飾ったデルタS4だが、その圧倒的な速さが災いしてグループB時代をも終わらせてしまうことになる。

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